10 多摩湖の年表

○明治42(1909)年4月 東京市水道拡張の調査を内務省市区改正委員会に依頼。同委員会は工学博士中島鋭治らにその調査を委嘱。

○明治44(1911)年12月 中島鋭治、水道拡張調査を市区改正委員会に提出(第1案:大久野貯水池、第2案:村山貯水池)

○明治45(1912)年5月 市区改正委員会、第2案採用を決定。

○大正元(1912)年9月7日 水道拡張設計(村山貯水池案)、内閣の承認を受ける。

○大正2(1913)年11月 東京市は水道拡張設計事務所を設置し、中島鋭治が顧問となる。

○大正3(1914)年10月 村山貯水池敷地の測量が終わる。続いて山口貯水池仮定地測量に着手する。

○大正4(1915)年2月 村山貯水池敷地買収価格が発表される。

○大正5(1916)年5月23日 村山貯水池起工。下堰堤より工事を開始する。

○大正5(1916)年6月4日 村山貯水池敷地内(東村山村回田)で地鎮祭を行う。

○大正6(1917)年10月 村山貯水池上堰堤起工。

○大正9(1920)年6月20日 東村山駅−清水村間の東京市専用鉄道の開通式を挙行。

○大正10(1921)年3月31日 西多摩村−村山村間の軽便鉄道(道路扱い)が竣工。

○大正11(1922)年11月 村山貯水池上堰堤の竣工式を挙行。

○大正12(1923)年7月 羽村村山線(導水路)の通水と村山上貯水池の水張りを開始。

○大正12(1923)年8月20日 上貯水池取水塔が完成。

○大正12(1923)年9月1日 関東大震災発生。村山貯水地堰堤は小さな亀裂が生じた程度で目立った被害はなかった。

○大正13(1924)年2月 村山境線(取水路)の通水開始。

○大正13(1924)年3月30日 村山貯水池畔で通水式を挙行。

◎大正13(1924)年3月31日 村山上貯水池が竣工。

○大正14(1925)年2月17日 工学博士中島鋭治が死去(享年68歳)。

○大正14(1925)年7月21日 宅部池で関田辰夫君(10歳:たっちゃん)が溺死。

○大正14(1925)年7月31日 下貯水池第一取水塔が完成。

◎昭和2(1927)年3月31日 村山下貯水池が竣工。

○昭和2(1927)年8月 山口貯水池築造工事が内閣より認可される。

○昭和3(1928)年3月7日 多摩湖鉄道株式会社が設立。

○昭和3(1928)年3月 山口貯水池が起工。

○昭和3(1928)年4月6日 多摩湖鉄道の国分寺−萩山間が開業。

○昭和3(1928)年5月末 村山ホテルが開業。

○昭和3(1928)年?月 村山織物協同組合事務所を建設。

○昭和4(1929)年5月1日 武蔵野鉄道の西所沢−村山公園間が開業。

○昭和4(1929)年6月 山口貯水池地鎮祭を挙行。

○昭和5(1930)年1月23日 多摩湖鉄道の萩山−村山貯水池(仮駅)間が開業。

○昭和5(1930)年4月5日 旧西武鉄道(川越鉄道)の東村山−村山貯水池間が開業。

○昭和7(1932)年10月15日 山口貯水池通水式を挙行。

○昭和8(1933)年9月 狭山富士が完成。

◎昭和9(1934)年3月 山口貯水池が竣工。

○昭和9(1934)年4月 山口貯水池竣工式を挙行。

○昭和9(1934)年7月 玉湖神社の造営開始。

○昭和11(1936)年6月 中島鋭治博士の頌徳碑が建立。

○昭和11(1936)年12月20日 玉湖神社の社殿が竣工。

○昭和11(1936)年12月30日 多摩湖鉄道の村山貯水池仮駅−村山貯水池間が開業。

○昭和12(1937)年4月29日 下堰堤下に狭山公園が開園。

○昭和12(1937)年?月 村山貯水池の防空擬装始まる。

○昭和15(1940)年3月12日 多摩湖鉄道、武蔵野鉄道に合併。

○昭和15(1940)年9月 村山射撃場を設置。

○昭和16(1941)年12月 村山貯水池畔に高射砲などの軍事施設が設置される。

○昭和18(1943)年7月 東京都制を施行。

○昭和19(1944)年2月 武蔵野鉄道の西所沢−村山公園間が休止。

○昭和19(1944)年8月 山口貯水池防衛工事竣工。

○昭和19(1944)年10月 村山下貯水池防衛工事竣工。

○昭和20(1945)年9月22日 武蔵野鉄道と旧西武鉄道が合併。

○昭和22(1947)年?月 狭山貯水池愛護会が発足。秋から機関誌「狭山」創刊。

○昭和23(1948)年4月1日 西武鉄道の東村山−村山貯水池(旧狭山公園)間が再開。

○昭和25(1950)年1月 村山ホテルを大改装、多摩湖ホテルと改称しオープン。

○昭和25(1950)年1月25日 東村山文化園(西武園の前身)が開園。

○昭和25(1950)年5月24日 村山競輪(西武園競輪の前身)が開設。

○昭和25(1950)年8月1日 「おとぎ列車」多摩湖ホテル前−上堰堤間が西武園の遊戯物として開業。(翌年9月16日、ユネスコ村まで延長)

○昭和26(1951)年3月1日 西武鉄道、村山貯水池駅を西武園駅と改称。

○昭和26(1951)年3月21日 狭山湖駅伝始まる。

○昭和26(1951)年9月1日 西武鉄道多摩湖線の狭山公園前駅を多摩湖駅と改称。

○昭和26(1951)年9月16日 東村山文化園を西武園と改称。ユネスコ村が開業。

○昭和26(1951)年10月7日 西武鉄道狭山線の西所沢−狭山湖(旧村山公園)間を再開。

○昭和27(1952)年7月15日 「おとぎ列車」が地方鉄道に昇格、西武鉄道山口線となる。

○昭和29(1954)年4月5日 慶性門の移築工事が竣工。

○昭和29(1954)年5月3日 大和村、町制施行で大和町となる。

○昭和29(1954)年5月26日 村山競輪が西武園競輪と改称。

○昭和32(1957)年11月 小河内ダム竣工式。

○昭和33(1958)年4月 東村山浄水場の建設工事始まる。

○昭和34(1959)年12月12日 狭山スキー場がオープン。

○昭和36(1961)年秋 多摩湖ホテル(村山ホテル)が取り壊される。

○昭和38(1963)年?月 所沢市営国民宿舎湖畔荘がオープン。

○昭和38(1963)年?月 「東村山音頭と多摩湖小唄」レコード発売。

○昭和39(1964)年10月1日 西武園ゴルフ場がオープン。

○昭和39(1964)年10月10日 東京オリンピック開幕。

○昭和40(1965)年?月 村山射撃場が閉場。

○昭和40(1965)年3月 狭山貯水池愛護会の機関誌「狭山」終刊。

○昭和40(1965)年6月 狭山青年の家が開所。

○昭和40(1965)年11月15日 西武園に堤康次郎氏の銅像を建立。

○昭和45(1970)年10月1日 大和町、市制施行で東大和市となる。

○昭和47(1972)年12月 都市計画「東大和緑地」決定される。

○昭和48(1973)年2月24日 下貯水池第二取水塔が完成。

○昭和51(1976)年2月 多摩湖遺跡群の発掘調査開始(3月終了)

○昭和53(1978)年3月25日 西武鉄道の駅名改称で、多摩湖→西武遊園地、狭山湖→西武球場前、西武遊園地(山口線)→遊園地前となる。

○昭和54(1979)年4月8日 西武ライオンズ球場が開業。

○昭和54(1979)年6月1日 都立東大和公園が開園。

○昭和55(1980)年5月 貯水池周囲道路整備工事始まる。(翌年3月完成)

○昭和59(1984)年?月 所沢市営国民宿舎湖畔荘が廃止。

○昭和59(1984)年5月14日 西武鉄道山口線が新交通システム移行のため営業休止。

○昭和60(1985)年4月 東大和市立狭山緑地開園。

○昭和60(1985)年4月25日 西武鉄道山口線が新交通システムとして西武遊園地−西武球場前間の営業再開。

○昭和62(1987)年4月25日 掬水亭が火災で焼失。

○昭和63(1988)年3月 狭山貯水池愛護会解散。

○平成2(1990)年4月 「東やまと20景」決まる。

○平成2(1990)年4月12日 トトロのふるさと基金委員会が発足。

○平成2(1990)年9月28日 中国割烹旅館「掬水亭」がオープン。

○平成2(1990)年11月4日 ユネスコ村が閉園。

○平成3(1991)年8月8日 トトロの森1号地が誕生。

○平成5(1993)年12月22日 ユネスコ村大恐竜探検館がオープン。

○平成6(1994)年4月 東大和市立郷土博物館が開館。

○平成10(1998)年1月 山口貯水池の堤体強化工事始まる。

○平成11(1999)年3月18日 西武ドームの竣工式を挙行。

○平成14(2002)年3月 狭山青年の家が閉所。

○平成14(2002)年4月27日 村山温泉かたくりの湯がオープン。

○平成14(2002)年11月14日 山口貯水池の堤体強化工事が完成。

○平成15(2003)年3月 村山下貯水池の堤体強化工事始まる。

○平成17(2005)年3月16日 村山下ダム(多摩湖)は山口貯水池ダム(狭山湖)や小河内ダム(奥多摩湖)とともに、財団法人ダム水源地環境整備センターが選ぶ「ダム湖百選」の一つに選定される。

○平成17(2005)年6月4日 ユネスコ村自然散策園ゆり園がオープン。

○平成18(2006)年1月18日 村山下貯水池インフォメーションセンターがオープン。

○平成18(2006)年3月16日 掬水亭が宿泊部門の新規予約の受付を原則休止。

○平成18(2006)年9月30日 ユネスコ村大恐竜探検館が閉館(営業休止)。

○平成18(2006)年10月28日 第1回村山デエダラまつり開催(デエダラボッチのねぶたが登場)。

○平成19(2007)年9月30日 「吟雪」の渡辺酒造が廃業。

○平成19(2007)年11月11日 クロスケの家がお披露目。

○平成21(2009)年3月末 村山下貯水池の堤体強化工事が完成。

○平成21(2009)年4月3日 村山下貯水池堤体強化工事完成式を挙行。

○平成21(2009)年4月30日 村山下貯水池工事インフォメーションセンターが閉設。

○平成21(2009)年5月2日 八国山たいけんの里がオープン。

○平成22(2010)年3月3日 Webサイト「say-seibu.jp」オープン。

○平成22(2010)年3月19日 掬水亭が宿泊の毎日営業を再開。

○平成22(2010)年4月7日 東村山浄水場の高度浄水処理装置完成式を挙行。

○平成22(2010)年10月26日 西武園エリアのネーミングが「所沢西武アッハの森」に決定。

○平成23(2011)年3月11日 東日本大震災で、玉湖神社の柱に亀裂が生じ立入禁止。

○平成23(2011)年11月 柱に亀裂が生じた玉湖神社の社殿を解体。

 

※ 最近の事件・事故

○西武遊園地駅で殴打され死亡
平成13(2001)年5月26日 西武遊園地駅のホームで男性会社員(26)が2人組のフリーターの男(24)に首付近を右腕で殴打され死亡した。
会社員は女性友人と一緒に西武ドームのプロ野球を観戦した帰りで、西武球場前駅で西武山口線のレオライナーに乗る際、「中の方が空いているので、もう少し詰めてくれないかな」と乗客に向かって話しかけた。終点の西武遊園地駅に到着しホームに降りたところ、2人組が「自分たちに因縁をつけた」と言い寄り、1人がラリアットと呼ばれるプロレスの技で首付近を殴打し、会社員はその場に倒れ意識不明の重体となり病院に搬送されたが死亡した。

○多摩湖近くでハーレム生活
平成18(2006)年1月26日 東大和市芋窪2の民家で20歳代などの若い女性11人と不自然な集団生活をしていた自称占い師の男(57)を脅迫容疑で逮捕した。
集団生活していたのは多摩湖近くの山林や茶畑に囲まれた住宅地の一角にある木造3階建ての民家で、男はこれまで10人の女性と延べ12回の結婚・離婚を繰り返し、実質的に一夫多妻のような状態にあった。集団生活していた女性の1人は「優しい人です。離婚しているが気持ちの中では結婚が続いています。みんな仲良く家族として暮らしている」と話した。

○西武鉄道西武園線の東村山駅構内で脱線
平成23(2011)年12月24日16時39分頃、西武鉄道西武園線の東村山駅構内で、西武園発 西武新宿行き 上り普通電車(8両編成)の7両目の車輪が脱線した。
同駅の約100m手前で運転士が異常に気づき、緊急停車した。乗客約450人にケガ人なし。この事故により、西武線は一時、全線で運転見合わせとなり、小平駅と所沢駅の間などは終電まで不通が続いた。
翌年5月16日、西武鉄道は、脱線事故の原因について、ポイントの可動式レール(トングレール)が摩耗したことなどが原因とみられると発表した。同社の依頼を受けた「公益財団法人 鉄道総合技術研究所」が調査したところ、@列車の進行方向を変える右側の可動式レール(トングレール、全長9m)の頭頂部が最大5oすり減っており、車輪がせり上がりやすい形状になっていた。A左カーブを低速で走っていたため、右車輪への加重が小さかった。Bレールを通過する際の衝撃があった。これら三つの要素が合わさり、右車輪がトングレールに乗りあがって脱線したものと推定されるという。

○「西武園ゆうえんち」で火災が発生
平成26(2014)年9月2日2時43分頃、埼玉県所沢市の「西武園ゆうえんち」で火災が発生した。
遊園地内のアーケード大通りにある、たこ焼き屋の屋台など5台が全焼し、アーケードの屋根や照明器具など約498uが焼損した。ケガ人はなかった。
2日午前3時前、近くを通りかかった男性から、西武園敷地内で何かが燃えていると、119番通報があった。所沢市消防本部などから消防車8台が出場し、消火活動にあたった結果、火は30分ほどで消し止められ、3時56分に鎮火した。
屋台近くの電気配線や電気器具が激しく燃えているとのことで、電気関係から出火した可能性や放火の可能性など、警察や消防が出火原因を調べている。西武園ゆうえんちは、1日は休園日であり、深夜は警備員がいないとのこと。

○西武多摩湖線で土砂崩れ脱線
平成28(2016)年8月22日11時20分頃、西武多摩湖線は、台風9号による大雨により、東村山市の西武遊園地駅と武蔵大和駅の間で、線路に流れ込んだ土砂のため、電車が傾き動けなくなった。西武遊園地駅発、国分寺駅行きの上り電車が、武蔵大和駅の手前で、線路脇の架線を支える電柱が傾いていたため、緊急停止したところ、左側斜面から線路に次々と土砂が流れ込み、車両が傾き動けなくなったという。この電車には、乗客6人と運転士1人の計7人が乗っていたが、けが人はなかった。
このため、西武遊園地駅と萩山駅の間が不通となり、長期間代替バスが運行されたが、同年9月6日、仮復旧工事が完了し、初電より運行が再開された。

○西武遊園地駅構内で上部の赤坂道からの土砂崩れ
平成29(2017)年1 0月23日午前5時25分頃、西武多摩湖線の西武遊園地駅構内で、台風21号の大雨により、線路脇ののり面が崩れ、線路の終点部分に土砂が流れ込んだ。始発前のため乗客はおらずケガ人もいなかったが、崩落した1番線に代わり2番線を使用して正午前に運転を再開した。
この崩落は、のり面の約8m上にある市道(通称・赤坂道)の歩道路肩部分が、幅約40p、長さ約6mにわたって崩落したもので、東村山市では市道を通行止めにした。
復旧までには、長期間を要する見込みとのこと。

 

 

 

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