【Production I.G編:ホッタラケの島】
このページでは、平成21年(2009年)8月22日に公開された映画「ホッタラケの島―遥と魔法の鏡―」について、まとめてみました。

「ホッタラケの島―遥と魔法の鏡―」は、第33回日本アカデミー賞の優秀アニメーション作品賞を受賞しました。
(授賞式:平成22年(2010年)3月5日)

 

「ホッタラケの島」は、埼玉県入間市宮寺にある「ハタヤの稲荷」に伝わる民話をモチーフにし、佐藤信介監督、Production I.Gにより制作されたCGアニメです。フジテレビの関口大輔プロデューサーが子供の頃に読んだ、不老川流域に伝わる民話を集めた絵本の中の話がベースとなり、初期設定ができあがりました。この映画は、フジテレビ開局50周年記念作品として、平成21年(2009年)8月22日に公開され、スピッツが主題歌「君は太陽」を歌います。 
Oblivion Island: HARUKA AND THE MAGIC MIRROR
「あなたの忘れてしまったモノがこの島にあります。」

アニメ絵本 狐の民話 ポスター

 

大切にしていたぬいぐるみ、絵本、プラモデル…
大切にしていたあの「宝物」は、今どこにありますか? あなたの周りからなくなっていませんか?

昔から私たちは「きつね」に不思議な力が宿っていると思ってきました。
「きつねにつままれる」「きつねの嫁入り」などなど。 きつねに縁の深い神社もあります。
でも本当は、私たちがきつねだと思っていたのは、「ホッタラケの島」の住人だったのです。
彼らは、人間にほったらかしにされた、ホッタラケにされた宝物を集めて暮らしているのです。

このアニメは、「ホッタラケの島」に迷い込んだ高校生の遥と、島の住人のきつね?のテオが繰り広げる大冒険ファンタジーです。

 

○ あらすじ

ある日、高校生の遥は、武蔵野にある神社で、失くしてしまったお母さんの形見の「手鏡」を返してくださいと、お祈りをしていました。すると、目の前に不思議な「きつね」を目撃します。きつねの後をつけていくうちに、不思議な水たまりを見つけ、その水に手を入れると…… 一瞬にして吸い込まれ、おとぎの国のような「ホッタラケの島」に入ってしまいます。そこは、人間たちに「ほったらかしにされた=ホッタラケにされた」ものでできた島でした。

遥は、きつねのように見える、島の住人「テオ」に助けられます。かつて大切にしていた羊のぬいぐるみ「コットン」に再会します。嫌がるテオを巻き込み、遥は手鏡を探し始めます。

しかし、ここは人間が入ってはいけない島。島の生き物たちに気付かれないように旅する2人ですが、島の住人の「男爵」は、遥の存在に気付いていたのです。遥は手鏡を見つけ、この不思議な島から現実の世界に戻ることができるのでしょうか?

神社の奥にあるお稲荷様

 

○登場人物

遥(はるか):16歳、女子高校生。父親と二人暮らし。母親の形見の手鏡を捜す。
テオ:ホッタラケの島の住人。魔法の力が弱くホッタラケ拾いをさせられている。
コットン:遥が幼い頃に持っていた羊の人形
男爵バロン:ホッタラケの島の住人。城に住み、何かたくらんでいる。
兵士兄弟:男爵に仕える兵士の兄弟
デカゴー、ピカンタ、ビッキ:ホッタラケの島の住人。テオをバカにする3人組
マバロワ:鏡を売る店の主人
プチロス族:ホッタラケの島の地下に住んでいる泥棒一族

テオと遥

 

○ホッタラケ昔話 HOTTARAKE

昔むかし、武蔵野のある村に、おばあさんの形見をなくしてしまったお百姓さんがいました。
「こまったな。いったい、どこにしまったんだろう…」
それはふだんすっかりほったらかしにしていた古いくしでした。でも大切なおばあさんの形見でした。

「そうだ、お稲荷様にお願いしよう」
まずしいお百姓さんは、おさいせんのかわりに、うらのニワトリが生んだ卵をお稲荷様におそなえして、毎日毎日おいのりしました。

すると、ある夜のことです。
お百姓さんがぐっすりねむっていると、家の雨戸が静かに開きました。すきまからもれた月の光に、あやしげなかげがぼうっとうかびます。と、黄色の手がすっとのびて何かを置いていきました。
なんと、きつねがくしをとどけてくれたのです。それからというもの、失くし物をしてしまった村の人たちは、そのお稲荷様に卵をそなえておいのりするようになりました。

でも本当は……
「もらっちゃえ、もらっちゃえっ。ホッタラケにしてるんなら、もらっちゃえ」
ふろしき包みをせおった何びきものきつねたちが、物置にこっそりしのびこんで、ほったらかしにされたものを運び出しています。それはそれはもう、お祭りさわぎです。
「もらっちゃえ、もらっちゃえっ」
「ホッタラケのもの、もらっちゃえ」
月明かりの下、ぬすみ出した物を荷車に積んで、きつねたちが一目散にかけていきます。
そう……、きつねたちが、ほったらかしたにされた物をこっそり持っていってしまっていたのです。

○「不老川の絵本」 池原昭治著(1991年刊)花伝社 による

映画の元になった二つのきつねのお話です。

ハタヤの稲荷さま

不老川の上流、入間市の宮寺にある出雲祝神社(延喜式内社といわれている)のそばに「ハタヤの稲荷さま」と呼ばれるたいへん縁起のいい稲荷さまがあります。
むかし、南中野に住む人が、大切なものを見失って困っておりました。家中はもとより、近所中を捜しましたが、見つかりません。
そこで、困ったときの神頼みと、近くにあるハタヤの稲荷さまに願かけをしました。そして満願の日に、あんなに捜しまわっていた大切なものが見事に見つかりました。
このことが大評判となり、近郷近在から願かけにくる人が絶えなかったといいます。
そしてお礼には、生玉子を供えたといわれ、今もこの信仰は続けられているそうです。

きつねと手かがみ

これは、入間市宮寺あたりのお話です。昔、不老川沿いにお百姓さんの一家が住んでおりました。
ある日のこと、女房どのがとなり村へ出かけることになりました。すると、おばあさんが言いました。「夜遅くなると、きつねが悪さをするから、これを持っていきなされ」と、手かがみを渡しました。
「どうして、こんなものを……」と思いましたが、大切にふところに入れて出かけました。
案の定、用事が終わって帰ろうとした時は、月のきれいな夜になっていました。雑木林までやってきた時です。
「おお、女房どの、あまり遅いので迎えにきたわい」と、突然、だんなさんが現れました。「やれ、重そうだな……荷物を持ってやろう!」と手を出したところ、「わあっ!」と言って、だんなさんは尻もちをつき、逃げだしました。これは、だんなさんに化けたきつねが、女房どのの持っていた手かがみに写った自分の姿を見て驚いたのだそうです。
それからは、必ず夜遅く出かけるときは、手かがみを忘れなかったということです。

 

○ハタヤの稲荷(入間市史:民俗文化財編による)

ハタヤの稲荷は、出雲祝神社のすぐ北側にあります。物を紛失した時には、この稲荷に祈願すると出てくると言われています。

伝承1
ある家の妻が、夫の実印を失くしてしまったので、11日間この稲荷様に通いましたが、とうとう実印は出てきませんでした。妻はがっかりし、夫に責められることを恐れて、新しい印鑑を作って役所に登録しました。しかし、妻はやはり気がとがめて、そのことを夫に告白すると、なんと紛失したはずの実印を夫が持っていました。妻は、無事に戻ったお礼に生卵を稲荷様に供えました。

伝承2
ある鉄工場で、仕事道具が盗まれました。そのため、3日間その稲荷様に通いました。1年半後に、盗みに入った泥棒が捕まり、道具はすべて手元に戻りました。工場では、お礼に生卵を稲荷様に供えました。

ハタヤの稲荷
(生卵がお供えしてありました。)
ハタヤの稲荷の中を覗いてみました。
(キツネが大勢います。)

 

○出雲祝神社(いずもいわいじんじゃ)

祭神は、天穂日命・天夷鳥命・兄多毛比命で、例祭は9月29日。旧村社。伝説によると、日本武尊が東国のえぞ征伐の時、当地に立ち寄り、天穂日命と天夷鳥命を祭祀し、出雲祝神社として崇敬したことに始まるそうです。

出雲祝神社 参道 出雲祝神社 狛犬
出雲祝神社 本殿  出雲祝神社 社務所と神楽殿

○重闢茶場の碑(かさねてひらくちゃじょうのひ)

出雲祝神社の境内の奥(南側)、西久保観音寄りにあります。この碑は、天保3年(1832年)の撰文銘を持ち、狭山茶の由来が記されています。

鎌倉時代に栄西によってもたらされた茶は、各地に広まり、この地にも川越茶が生産されました。その後、戦国の乱を経て衰微しましたが、江戸時代後期に狭山茶復興の機運が高まり、地元の吉川温恭と村野盛政の努力で再興されました。文化・文政の時代に至って、完全に復興し、茶戸は50有余におよび、江戸との取引も盛んに行われるようになりました。

重闢茶場の碑

○不老川(ふろうがわ)

この川は、東京都瑞穂町から入間市、所沢市、狭山市を通り、川越市で新河岸川に注ぐ、全長17.4qの1級河川です。江戸時代の文献には「年不取川(としとらずがわ)」と記されており、今でも地元では「不老川(としとらずがわ)」と呼んでいる人もいるそうです。雨が少ない冬になると干上がってしまい、年のはじめには水が流れなくなることから、歳をとらないとされ、「としとらず」となりました。(不老伝説)

現在、東京都を流れる多摩川は、約2万年前には青梅から狭山丘陵の北側を通り、川越方面へと流れていました。不老川に沿って続く「ハケ」は、当時の古多摩川が武蔵野台地を削って作った川岸の崖でした。不老川は、古多摩川が残していった川原の石ころや砂の層を流れる地下水が地表に現れたものです。このため、雨が少ない節分の頃には地下水位が下がり、毎年涸れ川となりましたが、現在は生活排水が入ってくるため、冬でも水が涸れなくなりました。

「大森調節池」は、1988年〜1991年に不老川の洪水対策のために掘られたものです。広さ約6.4haの治水施設で、普段は立入禁止です。地下水位が高く、平常時は湧き水により湿地になり、広大なビオトープになっています。毎年8月には、「大森の池まつり」が開催され、立入禁止区域に入ることができます。

不老川 不老川(西武池袋線の鉄橋)
大森調節地への入口
(左:不老川、右:大森調節池)
大森調整池
(「大森の池まつり」でのカヌー遊び)

  

○西久保観音、西久保田んぼ

出雲祝神社のすぐ南側にあります。

西久保観音
(出雲祝神社のすぐ南側にあります。)
西久保田んぼ
(この先が狭山湖となります。)

 

 

 

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