6 多摩湖の産業

6−1 多摩湖の温泉「かたくりの湯」

平成10(1998)年、多摩湖の西側にある野山北公園の近くに温泉がわきました。地下1,500mから汲みだされる源泉名は村山温泉、泉質はメタほう酸、泉温は22.9度です。ただし、飲用不可です。

武蔵村山市は、日帰り温泉施設の建設を進め、平成14(2002)年4月27日「村山温泉かたくりの湯」としてオープンさせました。毎週末は、多くの人々が訪れ、たいへんな賑わいをみせています。また、温泉スタンドも併設されており、100リットル100円で持ち帰りできます。

「かたくりの湯」の名称の由来は、隣接する野山北公園内にカタクリの花の群生があることから名付けられました。

令和5(2023)年3月31日、村山温泉「かたくりの湯」の指定管理者の指定期間終了に伴い、施設運営を行う事業者の募集を行いましたが、応募がありませんでした。このため、武蔵村山市では、令和5(2023)年4月1日から一時閉館し、今後の在り方について検討を進めているそうです。

<かたくりの湯:武蔵村山市本町5-29-1 電話042-520-1026 多摩都市モノレール上北台駅下車市内循環バス>

村山温泉 かたくりの湯 野山北公園のカタクリの群生

6−2 多摩湖の幻の地酒「吟雪」

多摩湖の南側、青梅街道の大曲り交差点近くに渡辺酒造があります。

明治10(1877)年、渡辺酒造の初代創業者、渡辺市太郎は、封建時代からの醤油醸造に加えて新たに酒づくりを始めました。

新しく作られた清酒の名前を決めるため一族が寄り合いましたが、窓の外にはしんしんと雪が降り続いていたそうです。新しい酒を祝うような汚れのない純白の雪を眺めながら、「雪華」と名づけられたとのことです。その後まもなく、さらに純白の雪を味わうという意味合いから、「吟雪」と変わりました。

渡辺酒造には小さなショールームがあり、予約すれば工場見学もさせてもらえました。

なお、東大和市酒販組合では、平成13年から「吟雪」の東大和市地域限定版「多摩湖の香り」を企画し、市内の酒店で販売しています。

<渡辺酒造:武蔵村山市中藤1-15-1 電話042-562-3131>

その後、平成19(2007)年9月30日、残念なことに渡辺酒造は、廃業してしまいました。「吟雪」の出荷量は、昨今の焼酎やワインの人気に押され、最盛期の半分ぐらいにまで落ち込んでいたそうです。狭山丘陵の伏流水を使った名酒「吟雪」も、日本酒の低迷には逆らえず、姿を消すことになりました。

青梅街道沿いにそびえる赤レンガの煙突は、地域のシンボル的存在でしたが、敷地を売却するため、その保存もむずかしいようです。消えゆく味を惜しみつつ、郷土の名酒「吟雪」は、創業130年の歴史に幕を閉じました。

「吟雪」の渡辺酒造 幻の地酒「吟雪」
「吟雪」の地域限定版「多摩湖の香り」 渡辺酒造跡地(住宅街建設)

 

※ 生まれ変わった「多摩湖の香り」

渡辺酒造が廃業になったことから、「多摩湖の香り」は、東村山市にある「金婚」豊島屋酒造で、その製造が引き継がれることになりました。

豊島屋酒造では、狭山丘陵の南東麓の地下150メ−トルから汲み上げた富士山系伏流水を仕込水に使用しています。さらりとして柔らかな味わいのお酒に仕上がりました。

初代豊島屋十右衛門は、江戸時代の慶長元(1596)年、神田鎌倉河岸に店舗を構え、お城の普請で集まった武士、職人、商人たちをお客さまに、酒屋「豊島屋」を始めました。また豊島屋十右衛門は、夢枕で紙雛様から白酒の製法を伝授され、非常に美味な白酒ができて評判になりました。「山なれば富士、白酒なれば豊島屋」と詠われるほど、豊島屋の「白酒」は江戸の名物となったそうです。

初代から現在まで、明治神宮に御神酒「金婚正宗」の献上を続け、結婚式場明治記念館においても結婚式の鏡開きに使用されているそうです。また、白酒は宮家へ献上しているそうです。

<豊島屋酒造:東村山市久米川町3-14-10 電話042-391-0601>

「金婚」の豊島屋酒造 生まれ変わった「多摩湖の香り」

 

 

6−3 多摩湖の織物「村山大島紬」

東村山から瑞穂あたりにかけては、昔は村山三里と言われ、機織がさかんでした。藍染の木綿絣(かすり)がほとんどで村山紬(つむぎ)と名づけられていました。その起源は一節に、石川に住んでいた荒畑源七という人が考案したとも言われています。江戸期のころからでしたが、明治、大正となるにつれて生産が増えて、多いときには年間300万反も織られました。

各村には機屋兼紺屋が数軒あって、木綿糸は東京から仕入れ、藍玉は四国や九州から買い付けました。白い綿糸12反分を輪にして、ところどころを元結びでくくり絣模様をつくってから、藍がめで染め付けますが、このくくり方の間隔で絣模様が変わります。

染め上がったら、織子(つぼ)に出します。つぼは農家の娘だけではなく、立川や国分寺あたりから1年契約で織子を雇いましたから、1軒で100人ものつぼを抱えている機屋もあったそうです。

武蔵村山市周辺は、村山大島紬の産地として広く知られ、織元、板屋、染屋などが数多く営業していた地域です。

これらの織物業者は、同業者組合を組織し、製品の質の向上、販路の確保に努めてきました。織物産業が全盛期であった昭和3(1928)年には、村山織物協同組合事務所が建てられました。間口6間(10.8m)、奥行き11間半(20.7m)、床面積468.6平方メートルの建物で、建設施工者は、地元で古くから営業していた榎本土建でした。

この村山大島紬は、時代の流れとともに、人々が洋服を着るようになると需要が減り、また太平洋戦争の影響もあって、しだいに織られなくなりました。

村山大島紬は、昭和42(1967)年3月に東京都指定技術工芸品(文化財)に指定され、さらに昭和50(1975)年2月に通商産業大臣指定伝統的工芸品に指定されました。

しかし後継者不足から、この伝統ある織物は美術工芸織物として、ここ村山織物協同組合でしか手に入らないようです。

<村山織物協同組合:武蔵村山市本町2-2-1 電話042-560-0031>

村山織物協同組合事務所 村山大島紬

 

6−4 狭山茶、武蔵野うどん、狭山みかん、ぶどう、多摩湖梨

○狭山茶

狭山茶は、今から800年くらい前に栄西禅師が中国から持ち帰った種子を明恵上人が「武蔵河越」の野に栽植したものが始まりです。以来、狭山茶は埼玉県から東京西部地方一帯に発達して、静岡・宇治とともに日本三大銘茶の産地となりました。

東大和市は、東京の水瓶である多摩湖の南に位置し、良質な狭山茶が生産されています。宮鍋製茶は、200年前より手摘茶の製茶を行ってきましたが、時代とともに昭和24年頃から機械化を進め、現在ではコンピュータ付の完全自動機械による製法を行い、高品質なお茶を量産しています。東京都茶品評会においても、農林大臣賞・東京都知事賞・農林省関東農政局長賞などを毎年受賞し、名実ともに狭山茶の代表としてその名声を博しているとのことです。

なお、宮鍋製茶の創業は、安永9(1780)年の初代・宮鍋幸右衛門まで遡ることから、平成24(2012)年、「お茶の宮鍋」から「幸右衛門茶舗」(こうえもんちゃほ)へと生まれ変わりました。

また、幸右衛門茶舗・仲原店の店頭には、宮鍋製茶のキャラクター・オブジェ、ミスターティー(Mr. T)が座っています。千利休時代の南蛮渡来の文化をモチーフにしたものだそうです。背中には、Tの文字があります。
幸右衛門茶舗・仲原店:東大和市仲原3-20-5 つるかめランド敷地内
名称:Mr. T
寸法:H1400
素材・技法:アルミニウム、コンクリート、鋳造他
制作:メタルスタヂオ、1998年

<宮鍋製茶:東大和市高木3-220 電話042-564-1122>

宮鍋製茶工場 宮鍋のお茶
   
ミスターティー  

 

※ 「東京紅茶」の発案

木下園製茶工場の「東京紅茶」は、狭山茶の茶葉から作られた珍しい紅茶です。木下園の木下修一代表が紅茶を作り始めたのは、2001年に紅茶好きの友人に頼まれたのがきっかけといいます。その後、店を訪れたNPO創造エンジンの小林知久氏が、東京産のお土産ブランド化を発案し、2008年9月、「東京紅茶」として売り出したそうです。緑茶葉から作られた、和紅茶の優しい口当たりが好評とのことです。

<木下園製茶工場:東大和市清水5-1089-1 電話042-565-1627>

木下園製茶工場 東京紅茶

 

※ お茶の博物館「入間市博物館ALIT」

狭山茶の生産量が最も多いのは、埼玉県入間市です。入間市には、お茶の博物館としての特徴を持つ「入間市博物館ALIT(アリット)」があります。「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」と謳われる狭山茶をはじめ、日本各地や世界のお茶の歴史や文化がわかります。

緑茶、ウーロン茶、紅茶などのお茶は、全て学名が「カメリアシネンシス」というツバキ科の茶の樹からできています。この樹の生葉を乾燥・発酵させてつくる際、発酵度合いによって、緑茶、ウーロン茶、紅茶などさまざまな種類のお茶になるそうです。(緑茶(不発酵茶)、ウーロン茶(半発酵茶)、紅茶(発酵茶))

<入間市博物館ALIT:埼玉県入間市二本木100 電話04-2934-7711>

入間市博物館ALIT=茶の世界

 

※ さやま茶(ペットボトル)、狭山茶コーラ、いるまんじゅう

さやま茶:狭山茶のペットボトルです。(新井園本店(所沢市小手指町1-15-5)120円)

狭山茶コーラ:緑茶(狭山茶)とコーラの味がする着色料不使用の炭酸で、地域おこしのために作られたそうです。(増田園本店(入間市豊岡1-12-20)250円)

いるまんじゅう:狭山茶を練り込んだ生地であんを包んだまんじゅうです。入間市出身の2人の漫画家(松井優征、麻生周一)のコラボ作品「殺せんせーVS斉木楠雄〜入間市最終決戦〜」が特別制作され、その中に出てくる架空の入間市名物「いるまんじゅう」を入間市観光協会等の尽力により2015年1月に商品化したものです。(入間市観光協会(入間市豊岡1-16-1)8個入り900円)

さやま茶ペットボトル 狭山茶コーラ いるまんじゅう

 

大手飲料メーカーの伊藤園は、埼玉県内で生産された狭山茶を100%使用した緑茶飲料「狭山茶」500mlペットボトルを2010年10月から埼玉県(地域限定)で発売しています。パッケージは、狭山茶発祥の地である川越のシンボル「時の鐘」とその街並みをデザインしたものとなっています。

伊藤園のペットボトル「狭山茶」

 

○武蔵野うどん

武蔵野は、関東ローム層にあるため保水が悪く水田には向かなかったことから、昔からアワ、ヒエ、小麦の栽培が盛んでした。小麦は主食のひとつで、うどんは日常食でありハレの日の食べ物でもありました。東村山や東大和に住んでいる人達の間では、家族や近所、親戚などの集まり事があると、地元で取れた地粉を使った手打ちうどんを振舞ったそうです。武蔵野うどんは、地粉を使用した冷たい手打ち麺を温かい肉入りのつけ汁につけて食べるスタイルです。

きくやは、昭和50年創業の地元でも評判の手打ちうどんの店です。なかでも人気なのが、野菜のかき揚げ付きの「天付肉汁うどん」です。売り切れ次第終了になりますので、注意が必要です。

<手打ちうどん きくや:東村山市廻田町2-12-13 電話042-394-9141 営業時間11時〜14時>

手打ちうどん きくや 武蔵野うどん

  

※ 「村山うどんの会」の発足

平成18(2006)年1月26日、武蔵村山市の市民有志が、地元に伝わる手打ちうどん「村山かてうどん」(かてつけ汁うどん)の食文化を継承し名物として全国に広めていこうと「村山うどんの会」を発足させました。「かて」(糧)とは、茹でた野菜(小松菜、ナス、インゲンなど)のことで、ネギやショウガ等の薬味とは異なります。会では、会員店やサポーターを募集しています。

平成18年から始まった村山デエダラまつりでは、「粋麺(イケメン)選手権」と称して、村山うどんの大食い大会が行われています。当初は個人戦でしたが、平成21年から団体戦に変わり、予選を勝ち抜いたチームの争いとなりました。

<村山うどんの会事務局:武蔵村山市神明1-93-9(株)桃源堂内>

※ 「東村山黒焼きそば」

「東村山黒焼きそば」は、1850年(嘉永3年)創業の地元のソースメーカー「ポールスタア」が、2009年春に「第1回東村山黒焼きそば食べ歩きキャンペーン」を実施したのがきっかけで誕生しました。「東村山黒焼きそばソース」は、秘伝のイカ墨と鹿児島特産の黒酒を使用した香り高いソースです。黒焼きそばを扱う60店舗近くのお店を回るスタンプラリーが毎年開催されることで、口コミでその存在が知られるようになり、定番メニューとして定着してきました。(2013年4月1日〜第5回開催)

<株式会社ポールスタア:東村山市久米川町3-28-2 電話042-395-0554>

※ ひがしやまと茶うどん

東大和市商工会では、東大和の新名物として、お茶とうどんをコラボレーションした「ひがしやまと茶うどん」を開発し、2013年2月27日より、試験販売を開始しました。地元特産の「狭山茶」を郷土食の「うどん」に練り込んだ「茶うどん」の乾麺で、包装紙には市民が描いた多摩湖のイラスト画も使われています。

試験販売で好評だったため、2013年6月27日より、正式に販売開始となりました。1袋(200g)315円、贈答用箱入り(3袋)1050円で、市内32の取扱店で販売されています。

<東大和市商工会:電話042-562-1131>

東村山黒焼きそばソース ひがしやまと茶うどん

※ 茶そば

所沢市小手指町の新井園本店では、狭山茶を使用した茶そばを販売しています。鰹だしつゆ付き3人前(めん360g)702円

<新井園本店:所沢市小手指町1-15-5 電話0120-06-1400>

新井園本店の茶そば

 

 

○狭山みかん

多摩湖の南側、狭山丘陵の南傾斜地では、現在9軒の農家がみかん栽培を行っています。戦後の食料難で麦やサツマイモを植えていたのが一段落し、昭和30年ころ神奈川県出身の青年学校教師にすすめられたのがきっかけとなり、100本の苗木を共同購入したのが始まりだそうです。みかんの種類は、寒さに強い「宮川早生」です。昭和35年、武蔵村山にみかん組合(責任者:下田九一さん)を設立しましたが、もぎとり園として軌道にのるまでは苦労が絶えなかったようです。みかん狩りは11月初旬からで、収穫の最盛期は11月中・下旬です。みかん狩りは、地元の幼稚園では恒例の行事のひとつにもなっています。(みかん狩り入園料=小学生以上300円、幼児200円、持ち帰り1kg300円)

<小林農園:武蔵村山市中藤5-84-1 電話042-561-3305>

小林農園のみかん狩り
 

 

○狭山湖ぶどう、多摩湖ぶどう

狭山湖の北側、所沢市三ヶ島地区には観光ぶどう園があり、8月中旬から9月下旬にかけてぶどう狩りが楽しめます。ここでは昔からお米はおかぼで、収量が少なく品質も劣っていましたが、おかぼのクズで武州だんごを作ったりしていました。戦後、工業立国となり、農家の後継者がいなくなったため、昭和45年ころからブドウ作りが始まりました。雑草をあまり取らなくてもよい、夏は木陰になり作業がラク、良い収入にもなる、というのがその理由だったそうです。しかし剪定がむずかしく、実を多く残せばブドウが熟さなかったりして、売り物になるブドウを作るまでには、いろいろ苦労があったようです。三ヶ島狭山湖ぶどう組合、三ヶ島ぶどう組合があります。(ぶどう狩り入園料=大人200円、小学生以下100円、料金1kg700〜1200円)

<新井ぶどう園:所沢市三ヶ島1-177 電話04-2948-0346>

新井ぶどう園のぶどう狩り 東村山ぶどう園の「多摩湖ぶどう」

 

※多摩湖ぶどう

「多摩湖ぶどう」は、東村山市内で栽培されるぶどうのブランドネームで、2008〜2009年頃、ロゴも決まったようです。露地物の高尾、紅富士、藤稔、ハウス栽培のシャインマスカット、ベニバラード、しまねスイートなどが栽培されています。

<東村山ぶどう園:東村山市恩多町1-12-1 電話042-398-0886>

 

 

○多摩湖梨

昭和26年に東村山町の有志が会を作り、稲城から梨の苗木を取り寄せて、梨の果樹栽培が始まったそうです。その後、昭和33年の農林省の大奨励措置により、町の産業課の音頭取りで大増殖が始まり、本格的に梨栽培を始めました。翌年の6月に待望の果樹研究会が発足し、その年の秋に東大和、村山、砂川と組んで「多摩湖果実連合会」が誕生し、「多摩湖梨」の名前が生まれました。(8月〜10月、産地直売=5個1000円)

<森田園:東大和市奈良橋1-309 電話042-563-2320>

森田園の直売所(現在はありません。)

 

※ 多摩湖梨ソース

東村山産の多摩湖梨を使った手作りソースで、サラダ等のドレッシングとして使えます。秋の旬の時期に生原料から作る限定生産品で、東村山ブランド「里に八国」にも認定されています。

<竹田商店:東村山市恩多町3-28-5 電話042-313-2361>

多摩湖梨ソース

 

 

 6−5 多摩湖の銘菓

多摩湖の地元では、「多摩湖」を冠称した銘菓が何種類か製造販売されています。

お菓子の家「ニューあむーる」では、素材の持ち味を生かし、手のぬくもりのあたたかさを感じられる様なお菓子作りを心掛けているといいます。撰りすぐった小豆、新鮮な卵、自然の恵みをたっぷりうけた粉、良質のバターなど、選び抜いた素材を使い、手作りに徹してまごころを込めて丹念に作られています。郷土銘菓「多摩湖畔」は、平成元年、第21回全国菓子博覧会(松江市)において、最高峰の「名誉総裁賞」を受賞しました。贈答品や家族の団らんのひとときに利用されているようです。 

お菓子の家「ニューあむーる」 「多摩湖畔」と「多摩湖もなか」
  

「多摩湖」を冠称した銘菓は、およそ次のとおりです。

銘菓名 店名 住所 電話 参考
多摩湖めぐり 笹の枝菓子舗 東大和市南街5-58-5 042-561-0733
多摩湖だより あかぎ 東大和市仲原2-15-16 042-567-3064
多摩湖畔、多摩湖もなか等 ニューあむーる 東大和市清水6-1190-3 042-565-1001
湖畔の香り ルフラン 東大和市清水6-1189-3 042-565-6354
多摩湖まんじゅう 松本屋 東村山市多摩湖町3-14-1 042-391-2329
多摩湖パイ、千体地蔵最中 清水屋 東村山市野口町2-4-1 042-391-0172 ※1
だいじょぶだァー饅頭 餅萬 東村山市久米川町3-29-38 042-391-0003 ※2
千体地蔵ソース ポールスタア 東村山市久米川町3-28-2 042-395-0554 ※2

 

(参考)

※1 「正福寺」と「厄除け小地蔵」「千体地蔵最中」

正福寺(東村山市野口4-6-1)の千体地蔵堂は、東京都唯一の国宝建造物です。毎年11月3日文化の日には地蔵祭が開催され、国宝千体地蔵堂の内部が一般公開されます。正福寺の厄除け小地蔵取扱所は御菓子司清水屋で、木彫り小地蔵が有料頒布(3000円)されています。この和菓子屋の郷土銘菓「千体地蔵最中」は、第24回全国菓子大博覧会で大臣賞を受賞しています。 

正福寺千体地蔵堂
(東京都で唯一の国宝建造物)
正福寺木彫り小地蔵と「清水屋」の銘菓
(「千体地蔵最中」と「多摩湖パイ」)

 

※2 「千体地蔵ソース」「だいじょぶだァー饅頭」など

東村山のソースメーカーのポールスタア社では、平成19(2007)年11月3日から「千体地蔵ソース」を発売しています。

また、志村けんさんの出身地である東村山では、和菓子処餅萬(もちまん)で「だいじょぶだァー饅頭」を東村山名物として製造販売しているので、参考まで。  

ポールスタア社の無添加「千体地蔵ソース」 「餅萬」の銘菓 「だいじょぶだァー饅頭」

 

6−6 多摩だるま

多摩だるまは、江戸末期から150年以上の歴史があり、農家の副業として農閑期を利用して製作されたといわれています。多摩地区は昔から養蚕の盛んなところで、毎年1月15日に繭玉行事が行われたそうです。米の団子を繭に見立てて木の枝に刺し、だるまを買って神棚に祀りました。だるまの白目は繭の形に似ているから、片方に黒目を入れて蚕がよく育つように願ったのです。それがやがて開運だるまになっていったそうです。

多摩だるまは、鼻が高く彫りの深いのが特徴です。現在、瑞穂町では5軒が製造していますが、内野屋はだるま専業です。

だるまの製作方法は、伝統的な「張り子」と機械で均一に作れる「真空成型」の2種類があります。張り子だるまは、和紙を木型に貼って乾かし、背中を半分に割って木型から取り出すものです。真空成型だるまは、再生紙を水で戻し練ったものを外型の中に流し込み中に空気を送り込んで余分な水を出した後、外型をはずします。年間の生産量の9割が大量生産できる真空成型だそうです。

売れるのも顔立ちの整った真空成型だるまで、伝統的な張り子だるまは顔が不揃いなため人気がないそうです。しかし真空成型だるまは、どうしても肉厚になり重くなってしまうので、大きなだるまを作るときは、昔ながらの張り子だるまになるそうです。

だるまは、暮れから正月にかけて、近辺の社寺(拝島大師、高幡不動、深大寺など)で売り出されます。立川市の阿豆佐味天神社では、元旦午前零時より日本一早いダルマ市が開かれます。

<内野屋:瑞穂町石畑1651 電話042-557-5705>

内野屋のだるま製作 多摩だるま

 

 

 

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