7 多摩湖と西武園

7−1 西武鉄道と多摩湖

<埼玉県所沢市くすのき台1-11-1 電話04-2926-2035 所沢駅下車徒歩>

西武鉄道の前身である武蔵野鉄道は、明治45(1912)年5月7日に資本金100万円をもって設立され、大正4(1915)年4月、池袋〜飯能間43.8kmで汽車の営業を始めました。昭和15(1940)年3月12日に多摩湖鉄道(現多摩湖線)を合併、昭和20(1945)年9月22日には旧西武鉄道(現新宿線、国分寺線、西武園線、安比奈線、多摩川線)を合併して西武農業鉄道となりました。翌21年11月15日にはバス部門を分離して、社名を西武鉄道として新たに発足しました。

箱根土地株式会社(後のコクド)を設立した堤康次郎氏は、学園都市構想のもと、大正13(1924)年から翌年にかけて、北豊島郡大泉村(大泉学園)、北多摩郡小平村(小平学園)、北多摩郡谷保村(国立(くにたち)学園)を選んで大学の誘致と住宅地の開発に乗り出しました。堤は、土地開発には鉄道が必要と考え、昭和3(1928)年3月7日、多摩湖鉄道を自身の手で開業させました。昭和15(1940)年4月には、浅野財閥から武蔵野鉄道の株式を購入し筆頭株主となり、同年10月には堤自身が社長に就任しました。昭和17(1942)年7月には、競合していた旧西武鉄道についても大株主となり、翌1943年6月、堤は旧西武鉄道の社長にも就任しました。こうして堤は、西武グループの創業者として君臨していくのでした。

村山貯水池の完成は、東京の都市部から日帰り可能な行楽地として、高尾山や箱根芦ノ湖などに匹敵する景勝地の出現でもありました。周辺の私鉄は、行楽客など乗客争奪のため、村山貯水池めざして支線や延長線の建設に乗り出しました。武蔵野鉄道は、昭和4(1929)年5月1日、西所沢駅から分岐して村山公園駅に至る支線(現西武狭山線)が開通しました。ついで多摩湖鉄道は、昭和5(1930)年1月23日、萩山駅から延長して村山貯水池駅までの全線(現西武多摩湖線)が開通しました。さらに旧西武鉄道は、昭和5(1930)年4月5日、東村山駅から延長して村山貯水池前駅まで(現西武園線)が開通しました。

しかし、第二次世界大戦の末期になると、観光を目的とした鉄道は不要不急として休廃止されることになり、上記3路線はいずれも営業中止となりました。

第二次世界大戦後、村山貯水池畔に遊園地(東村山文化園)が計画されると、建設に必要な資材や人員の輸送を行う必要が生じ、上記3路線は復活し営業を再開しました。

【駅名の変遷】

○多摩湖:村山貯水池(昭11.12.30)→狭山公園前(昭16.4.1)→(休止:昭19.3.?)→狭山公園前(昭23.1.?)→多摩湖(昭26.9.1)→西武遊園地(昭54.3.25)→多摩湖(令3.3.13)

○武蔵大和:村山貯水池(昭5.1.23)→武蔵大和(昭11.12.30)

○西武園:村山貯水池前(昭5.4.5)→狭山公園(昭16.3.1)→(休止:昭19.5.10)→村山貯水池(昭23.4.1)→西武園(昭26.3.1)

○西武球場前:村山公園(昭4.5.1)→村山貯水池際(昭8.3.1)→村山(昭16.4.1)→(廃止:昭19.2.28)→狭山湖(昭26.10.7)→西武球場前(昭54.3.25)

○西武園ゆうえんち:多摩湖ホテル前(昭25.8.1)→遊園地前(昭27.7.15)→遊園地西(昭60.4.25)→西武園ゆうえんち(令3.3.13)

○上堰堤(昭25.8.1)→廃止(昭26.9.16)

○ユネスコ村(昭26.9.16)→廃止(昭59.5.14?)

 

※ 「多摩湖駅」の復活

2021年(令和3年) 3月13日(土)の西武線ダイヤ改正に合わせて、駅名変更が行われました。これは「西武園ゆうえんち」のリニューアルオープンに先駆けた変更でした。
○ 西武山口線(レオライナー)
「遊園地西駅」→「西武園ゆうえんち駅」
○ 西武多摩湖線・山口線(レオライナー)
「西武遊園地駅」→「多摩湖駅」
なお、「多摩湖駅」の駅名は、1951〜1979年の間使用されていて、42年ぶりに復活しました。
また、「西武園ゆうえんち」のメインゲートは、「西武園ゆうえんち駅」になる予定です。

多摩湖駅 多摩湖駅の駅名標(駅名板)

 

※ 西武鉄道のロゴマーク

西武鉄道の社章は、西武の「西」をモチーフにしたもので、野球のボールのような形をしていました。平成19(2007)年4月1日、西武鉄道の社章は、新生西武の象徴として新しいロゴマークに変更されました。

旧社章 新ロゴマーク

※ 西武鉄道のキャラクター

西武鉄道の「駅員さんキャラクター」は、平成21(2009)年12月より登場し、平成23(2011)年6月5日に名前が発表されました。
レイルくん:所沢生まれの入社2年目。将来の夢は特急電車の運転手。
スマイルちゃん:スマイルトレインが気になった入社3年目。将来の夢は駅長さん。

レイルくん スマイルちゃん 駅員さんキャラクター着ぐるみ

 

 

7−2 東村山文化園と西武園ゆうえんち

<埼玉県所沢市山口2964 電話04-2922-1371 西武遊園地駅前、西武園駅下車徒歩5分、遊園地西駅前>

昭和25(1950)年1月25日、狭山丘陵の緩やかなスロープに広がる緑の木々と花々に囲まれた遊園地「東村山文化園」として開園しました。

西武鉄道は、昭和22(1947)年10月、東村山町回田から所沢市荒幡にかけての村山貯水池畔の広大な土地20万坪を「修養団」から入手することに成功しました。(修養団は、東京師範学校(現・東京学芸大学)に在学中の蓮沼門三が明治39(1906)年に創設した修養教化団体で、天皇崇拝・労資協調・勤倹努力をスローガンにしていました。現在は、文部科学省所管の社会教育団体として、特定の宗教や政党に属することなく、青少年の健全な育成を図るための教育活動を行っています。)そして、ここで乗客誘致の切り札ともいうべき遊園地の建設に乗り出したのです。翌年10月には、「東村山文化園建設趣意及計画書」が発表されました。

東村山文化園の遊園地には、大衆性の高いウォーターシュート、飛行塔、ボート場、豆自動車などが建設されました。村山ホテルを大改装し多摩湖ホテルと改称してオープンさせ、当初計画になかった村山競輪場が開設され、おとぎ電車が開通し、ユネスコ村も開園する運びとなったことから、昭和26(1951)年9月16日、東村山文化園は「西武園」と改称しました。

現在は、高さ62mの「大観覧車」、30mの高さから急降下しながら3回転する「ループ・スクリューコースター」、高さ80mの「ジャイロタワー」など、21機種が配置されています。夏にはプール(1周500mの「流れるプール」、渚の長さ150mの「波のプール」、長さ96〜146mの6本の「ウォータースライダー」など)、冬にはアイススケートリンクがオープンします。

平成16(2004)年7月17日には、サンリオとの提携による「ハローキティメルヘンタウン」がオープンしました。

平成22(2010)年12月4日、イルミネーション「スターキングダム」が登場しました。100万球のLEDが点灯し、冬の夜を演出します。平成23年クリスマスイブの前後3日間は、イタリア・シチリア島のキャンドルアートをモデルにした「ステラ・フォレスターレ」が実施されました。

ループ・スクリューコースター 大観覧車とハローキティメルヘンタウン
アイススケートリンク スノーボードパーク(平成17年で休止)
ウォーターシュート(西武園時代)  ウォーターシュート跡
(昔はメルヘンタウンが池だった) 
イルミネーション「スターキングダム」  キャンドルアート「ステラ・フォレスターレ」

 

○ 西武園ゆうえんちのゆるキャラBoo-Booマン

西武園ゆうえんちには、マスコットキャラクターが3体います。ウサギの「ラビ君」、オオカミの「ウルフ君」、いたずら好きな「Boo-Booマン」です。「Boo-Booマン」は、西武園ゆうえんちのメインキャラクターで、平成26(2014)年4月1日、新しいコスチュームを着て登場する、お披露目会が実施されました。

当初、Boo-Booマンは、西武園プールに来る子供たちに水鉄砲でいたずらをするキャラとして登場していたそうです。頭の後ろに大きな絆創膏が二つ貼られているのは、よく転ぶためです。背中のマントには、遊園地の「ゆ」の字が刺繍され、マントをめくると、体に手形がついていますが、いたずら好きのため、手で叩かれた跡だそうです。

Boo-Booマンたちは、土・日・祝日を中心に不定期に、西武園ゆうえんちに来るお客様のお出迎えをするそうです。

ラビ君 ウルフ君
Boo-Booマンお披露目会    Boo-Booマン(デザイン)

 

※ 新しい西武園ゆうえんちのグランドオープン予定

2021年(令和3年) 5月19日(水)、約3年をかけて構想を練った新しい西武ゆうえんちが、グランドオープンする予定です。
○ 夕日の丘商店街
約30もの店舗が立ち並ぶ、1960年代の昭和の世界。住人たちが繰り広げるライブパフォーマンスあり。
○ ゴジラ・ザ・ライド大怪獣頂上決戦
大怪獣ゴジラをテーマにしたライドアトラクション。ゴジラやキングギドラたちが激闘する。
○ レッツゴー!レオランド
大人の子供も楽しめる手塚治ワールド。
○ 西武園通貨
2種類の園内通貨「百園(ひゃくせいぶえん)」「拾園(じゅうせいぶえん)」を使って、食べ歩きやお買い物。
○ アトラクション
「大観覧車」「メリーゴーラウンド」「バイキング」「富士見天望塔」「回転空中ブランコ」「オクトパス・アドベンチャー」「チャレンジトレイン」など
○ 営業案内
営業時間:平日10:00〜17:00、休日10:00〜19:00
チケット:大人4000円(税抜)、子供3000円(税抜、3歳〜小学生)

新しい西武園ゆうえんちのコンセプト ゴジラ・ザ・ライドのイメージ

 

 

7−3 ユネスコ村、大恐竜探検館、ゆり園

<埼玉県所沢市上山口2227 電話04-2922-1370 西武球場前駅前>

昭和26(1951)年9月16日、世界の国々の特徴のある建物を小さく再現したユネスコ村が開業しました。

「ユネスコ」(UNESCO)は、United Nations Educational Scientific and Cultural Organization の略称で、「国際連合教育科学文化機関」といい、本部はパリにあります。ユネスコは、第二次世界大戦が終わった1945年に、人類が二度と戦争の戦禍を繰り返さないようにとの願いを込めて、各国政府が加盟する国際連合の専門機関として創設されました。昭和26(1951)年7月2日、パリで開催された第6回ユネスコ総会により、日本は60番目の加盟国としてユネスコへの加盟が認められました。当時の日本はまだ占領下にありましたが、敗戦後の日本が初めて国際社会に復帰を許されたという大きな意味がありました。

これを祝って計画されたのが東京の豊島園と埼玉県の西武園(ともに西武鉄道経営)での「ユネスコこども博覧会」でした。第一会場の豊島園には、ユネスコ館が建てられ、昭和天皇の生物学研究資料が特別陳列され話題を呼びました。第二会場の西武園には、早稲田大学の今井兼次教授の総指揮のもと、当時のユネスコ加盟国43か国のモデルハウスが建てられました。各国の建築様式からそれぞれの国の風土や民俗風習を学び国際理解を深めようという趣旨でした。例えばイギリスの場合はシェークスピアの生家が、オランダの場合は大きな風車小屋が出現し、全域がユネスコ村と命名されました。このユネスコ村は、規模が小さいとはいえ、今日のいわゆるテーマパークのはしりともいえるでしょう。

1990年代に入り建設以来半世紀近くがたち施設が老朽化したため、西武鉄道はモデルハウスを取り壊すこととし、平成2(1990)年11月4日、ユネスコ村は閉園しました。そして新たに大恐竜探検館を建設することとしましたが、ユネスコ村の名称は残すことになりました。

平成5(1993)年12月22日にオープンした大恐竜探検館は、恐竜たちの謎に満ちた太古の時代を再現した探検館です。4億年前から6千5百万年前までの時代を7つのゾーンに分け、ライドに乗って夢の探検旅行ができます。大恐竜探検館の2階にはユネスコ学習室が設けられ、ユネスコの活動を写真や模型などでわかりやすく展示しています。しかし、この大恐竜探検館も経営上の理由から、平成18(2006)年9月30日をもって営業休止することになりました。

平成17(2005)年6月4日、ユネスコ村に自然散策園「ゆり園」がオープンしました。約3万平方メートルの起伏に富んだ丘陵地の林内に約40種40万株のゆりが植えられています。すかしゆり系(モナ、コンバット、アルガーブ他)とハイブリッド系(イエローウィン、ロンバルディア、アカプルコ、ゾゴラ他)で花期が異なり毎年6月上旬から下旬までカラフルな色と芳醇な香りの花が楽しめます。 

ユネスコ村 大恐竜探検館
(平成18年9月30日営業休止)
ユネスコ村 自然散策園 ゆり園
 
オランダ風車(ユネスコ村時代)   

 

7−4 おとぎ電車と新交通システム

昭和25(1950)年8月1日、西武園の遊戯物として「おとぎ列車」が多摩湖ホテル前〜上堰堤間に開業し、翌年9月16日、ユネスコ村まで延長されました。軌間762mmの軽便鉄道でした。昭和27(1952)年7月15日、「おとぎ列車」は地方鉄道に昇格し、西武鉄道山口線となりました。片道3.7kmで、運賃は大人200円、子供100円、営業時間は9時30分から17時30分まででした。当初は、蓄電池機関車でしたが、昭和47(1972)年からは、蒸気機関車も走るようになりました。

西武山口線は、昭和59(1984)年5月14日、新交通システムを導入するため、営業を休止しました。そして、昭和60(1985)年4月25日、軌条がなくゴムタイヤで走行する新交通システム(愛称「レオライナー」)として生まれ変わり、西武遊園地〜西武球場前間2.8kmの営業を開始し、現在に至っています。

おとぎ電車軌条跡(喫茶ブルーベリー裏) 西武山口線新交通システム
おとぎ電車(ユネスコ村時代)  昔のおとぎ列車(コッペル5型527号機)
西武園ゆうえんちのレストランポッポ
(1988年7月16日営業開始)
(2010年3月28日営業終了) 

 

7−5 西武ドーム(メットライフドーム)

<埼玉県所沢市上山口2135 電話04-2925-1151 西武球場前駅前>

昭和54(1979)年4月8日、西武ライオンズ球場として開業しました。

西武ライオンズは、1950年代に設立された西鉄ライオンズが母体であり、その後、太平洋クラブ、クラウンライターと改名を繰り返しました。昭和53(1978)年のシーズン終了後、コクド(西武鉄道の親会社)のオーナー堤義明氏がライオンズ球団を買い取り、同年10月12日、西武ライオンズ球団が誕生しました。

平成20(2008)年1月1日、球団創設30周年にあたり、新生ライオンズを強調し、地域に根ざした球団をめざすため、球団名を「埼玉西武ライオンズ」に改称しました。

西武ライオンズのマスコット「レオ」は、手塚治虫氏(西武線沿線在住)の作品「ジャングル大帝」の主人公のライオンであり、その後レオの妹との設定で「ライナ」が登場しました。

西武ライオンズ球場はドーム化されることとなり、平成9(1997)年7月7日、ドーム工事の地鎮祭が行われました。西武ドームの膜屋根は、平成11(1999)年1月30日から2月1日にかけてリフトアップされ、同年3月18日竣工式が執り行われました。

西武ドームは、建築面積39,000u、直径223m(膜屋根部直径145m)、天井高64.5mで、池原義郎氏の設計により鹿島コーポレーションが施工したものです。日本で5つめのドーム球場であり、両翼100m、中堅122mで、収容人数は37,000人です。

西武ドームは、屋根をV字柱で支えているので、スタジアム全周には壁がありません。雨に濡れずさわやかな風が抜けていく自然と調和した爽快ドームになっています。狭山丘陵の緑豊かな自然環境に恵まれたアウトドア感覚のスタジアムに生まれ変わりました。天候に左右されないので、野球以外にもコンサート、展示会、見本市、運動会など、多目的に利用されています。

なお、平成17(2005)年3月1日、IT企業のインボイス社と球場名及び球団2軍チームに関わる「命名権スポンサー契約」(ネーミングライツ)を締結し、球場名は「インボイスSEIBUドーム」に、2軍チームは「インボイス」に改称されました。

また、平成19(2007)年1月1日より、ネーミングライツの契約更改を総合人材サービス会社のグッドウィル・グループ株式会社と結び、球場名は「グッドウィルドーム」に、2軍チームは「グッドウィル」に改称されました。

しかし、グッドウィル・グループでは、介護報酬の不正請求や日雇い労働者の違法派遣などの不祥事が相次いで発覚したため、ネーミングライツの契約解除に至り、平成20(2008)年1月9日、球場名を「西武ドーム」に、2軍チーム名を「埼玉西武ライオンズ」にそれぞれ変更しました。

その後、株式会社プリンスホテルがネーミングライツを取得し、平成27(2015)年3月1日、球場名が「西武プリンスドーム」に変更されました。

さらに、メットライフ生命保険が命名権を取得し、平成29(2017)年3月1日、球場名が「メットライフドーム」に変更されました。(契約期間:5年)

 

 

西武ドーム 第10回国際バラとガーデニングショウ
(平成20(2008)年5月14〜19日)
 
西武ライオンズのマスコット「レオ」と「ライナ」   

 

※ メットライフドームエリアのグランドオープン

2021年(令和3年) 3月26日、メットライフドームエリアがグランドオープンしました。
@ メットライフドーム(西武ドーム)
埼玉西武ライオンズの本拠地球場
A ライオンズチームストアフラッグス
600u超の広い店内で、ライオンズグッズを販売
B CAR3219フィールド(西武第二球場)
240席の観客席や大型LEDスコアボードを新設
C ライオンズトレーニングセンター
ファンデッキからの練習が見学可能(予定)
D トレイン広場
車体にライオンズカラーやレオ・ライナをラッピングした「L-train 101」を設置
E チケットセンター、ファンクラブカウンター、球弁
ファンサービスの拠点
F ライオンオブジェ
メットライフドームエリアの新たな象徴、白く巨大なライオン
G テイキョウキッズフィールド
ドーム型の遊具など、野球と遊びを融合した大型遊戯施設を設置

メットライフドームエリア

 

7−6 狭山スキー場

<埼玉県所沢市上山口2167 電話04-2922-1384 西武球場前駅前>

昭和34(1959)年12月22日に開設された屋内型の人工スキー場です。

全長320m、幅30mの屋内ゲレンデで、リフトが両側に1本ずつあります。造雪機の導入により、良質の雪がいつもベストコンディションの状態に保たれています。営業期間は10月下旬から4月上旬までで、スキー、スノーボードが毎日滑走できます。週末は、オールナイト営業もやっており、シーズン前の足慣らしなどには最適です。

所沢に人工スキー場とは、西武鉄道グループのオーナーとなる堤義明氏のスキー志向あるいは冬季五輪誘致の野心が働いたためなのでしょうか。昭和31(1956)年11月に軽井沢スケートセンターをオープンさせた後、昭和36(1961)年には苗場スキー場と苗場プリンスホテルを開設しています。平成元(1989)年8月には日本オリンピック委員会(JOC)初代会長に就任し、札幌冬季五輪以来26年ぶりに開催された、平成10(1998)年2月の長野冬季五輪の誘致に成功するのです。

千葉県船橋市にあった世界最大規模の屋内型人工スキー場「ザウス」は、平成5(1993)年7月15日から平成14(2002)年9月30日まで営業していました。今やザウスは解体されてしまいましたが、この狭山スキー場は健在です。

狭山スキー場

 

※ 平成26(2014)年12月22日に開業55周年を迎えるのを機に、新しいキャラクター3人が登場しました。

サヤ・マスベル(サヤマ国の王子、19歳、ボーゲンの達人)
トコ・ロ・ザワーヌ(トコロ国の王女、20歳、まっすぐにしか滑れない中級者)
イル・マスベッタ(イルマ国の王子、19歳、マスベルのライバル)

2015-2016シーズンを迎え、狭山スキー場キャラクターに、双子のスーパーお子様が追加されました。

サヤ・マスベーロ(サヤマ国の王子、6歳の双子、スノボが得意)
サヤ・マスベリータ(サヤマ国の王女、6歳の双子、スノボが得意)

サヤ・マスベル トコ・ロ・ザワーヌ イル・マスベッタ サヤ・マスベーロ
サヤ・マスベリータ

 

※ 狭山スキー場のリニューアルオープン

2019-2020シーズンをリニューアルのため休止していた狭山スキー場は、令和2(2020)年11月12日、リニューアルオープンしました。

今シーズンからリフトは、スノーエスカレーターに変更となり、中間降り場から初級者コースを滑走できるようになりました。そりや雪遊びを楽しめるキッズゲレンデも新設されました。

リニューアルオープン

 

7−7 村山競輪と西武園競輪場

<埼玉県所沢市荒幡1215 電話04-2922-9146 西武園駅前>

西武園競輪場は、村山競輪として昭和25(1950)年5月24日に開設されました。

日本の競輪は、第二次世界大戦前からアマチュアスポーツとして行われていた自転車競技を興行化したものです。昭和23(1948)年に制定された自転車競技法に基づき、同年11月、小倉市(現北九州市)で最初の競輪が開催されました。これが予想以上の成功をおさめたことから、積極的に競輪開催にのりだす地方自治体が増えました。

翌年1月、大宮競輪場において競輪が開催され、その人気と成功に刺激された西武鉄道は、乗客誘致と増収効果の大きい競輪場の設置に急遽のりだしました。当時、村山貯水池畔に遊園地(東村山文化園)を計画していたことから、その敷地内に競輪場を建設しました。昭和25(1950)年5月24日、「村山競輪場」が完成し、第1回埼玉県営村山競輪が開催されました。

その後、東村山文化園は西武園と改称されたことから、昭和29(1954)年5月26日、村山競輪場は「西武園競輪場」と改称されました。

西武園競輪場は、平成4(1992)年6月に全面改修工事に着手し、400mバンクやメインスタンド、選手宿舎等が完成し、平成9(1997)年10月にグランドオープンしました。サイクルシアター(521席)、ロイヤルルーム(52席)、クイーンルーム(166席)など、観客がゆったり観戦できる施設が充実しました。

開設以来、最も権威ある大会「日本選手権」が3度開催されるなど、ビッグスケールな競輪場です。

西武園競輪場

※ マスコットキャラクター「さい☆ボーグ」

西武園競輪場のマスコットキャラクターは、「さい☆ボーグ」くんで、平成17(2005)年頃に誕生したようです。動物のサイがモデルで、「埼玉県」「西武園」「サイクル」の“さい”をもじっています。狭山茶しか飲まず、大宮競輪のマスコットキャラクター「昇竜」くんと仲良しで、「来てくだサイ!」が口癖のようです。

マスコットキャラクター「さい☆ボーグ」 さい☆ボーグ着ぐるみ

 

7−8 西武園ゴルフ場

<埼玉県所沢市荒幡1464 電話04-2925-8111 西武園駅下車北口よりシャトルバス>

昭和39(1964)年10月1日、西武園ゴルフ場は開業しました。

武蔵野の美しい松林に囲まれ、狭山丘陵の一画に広がる18ホール・5,920ヤード・パー72のコースです。ホールごとに趣が異なり多彩なテクニックが要求されるコースで、都心から近く気軽にプレーが楽しめると好評のようです。近代的な建物のクラブハウスには、18のコンペルームを備え、プライベートコンペから大型コンペまで幅広く利用されています。

現在の西武グループのレジャー・観光施設は、ゾーン開発の戦略に基づいています。すなわち、ホテル・スキー場・ゴルフ場の「3点セット」でリゾート施設を形成しているのです。お客は、冬はスキー、春夏秋はゴルフ(場所によってはテニス)を楽しみ、ホテルを利用することで、1年中営業できる仕組みになっています。

こうしたレジャー施設は、西武不動産が土地を管理し、西武建設が建物を建て、西武建材がその資材を納入、西武運輸が資材類を運び、食器やリネン類は西武商事が調達、西武鉄道や西武観光バスなどが客を運び、旅行の手配は西武トラベルが対応するなど、グループ企業全体がうまく機能しているのです。

西武園ゴルフ場 16番ホール(夏)  西武園ゴルフ場 17番ホール(冬)

 

7−9 中国割烹旅館「掬水亭」

<埼玉県所沢市山口2942 電話04-2925-7111 遊園地西駅下車徒歩1分>

昭和32(1957)年5月20日、掬水亭として開業しました。この掬水亭は、昭和62(1987)年4月25日に火事で消失してしまったそうです。

新しい中国割烹旅館「掬水亭」は、平成元(1989)年4月4日に起工し、平成2(1990)年9月28日に開業しました。

中国割烹旅館「掬水亭」は、地上6階建てです。その名は、唐の干良史(うりょうし)の漢詩の一節、「掬水月在手」に由来します。水に掬った手の中に浮かぶ月を眺める風情の趣です。全室から多摩湖を一望し、桜並木やツツジをはじめとする花々や緑が四季折々の表情を見せ、遠くは富士の雄姿も望めます。ゴルフ場や野球場、遊園地など近隣施設のレジャーとともに、景観を楽しみながら、会食、宴会、宿泊に利用されています。

客室数21室、レストラン天外天(120席)、ラウンジ陶翠、大宴会場(120畳)、小宴会場(30畳)、大浴場などがあります。現在の建物は、平成4(1992)年11月17日、西武建設が社団法人建築業協会から第33回建築業協会賞を受賞したモダンなものです。

しかし、この掬水亭も経営上の理由により、平成18(2006)年3月16日から宿泊の新規予約の受付を原則休止することになり、会食・宴会を中心とした営業形態になりました。ただし、20名以上の団体であれば、宿泊の受付が可能でした。また、夏季営業、年末年始営業、金・土・特定日営業など、変則的な宿泊営業を実施してきました。

平成22(2010)年3月、西武鉄道では沿線観光事業の活性化に取り組むこととなり、新たな試みとして、西武園エリア(西武ドーム、西武園ゆうえんち、掬水亭、旧ユネスコ村(現ゆり園)など)について、「say-seibu.jp」というWebサイトを立ち上げました。(平成22年3月3日。ああSAY!こうSAY!みんなの声で「西武園エリア」を変えよう。)

平成22(2010)年3月19日から、掬水亭では宿泊の毎日営業を再開しました。

○ 掬水亭の日帰り入浴

掬水亭は、日帰り入浴もできます。掬水亭のお風呂は、竹籠の中に炭を入れた「竹炭風呂」です。竹炭は、飯能の竹を土窯で焼いたものを使用しているそうです。竹炭は、遠赤外線効果で血行が良くなるため、冷え症や便秘症に効果があり、アレルギー性疾患の症状が緩和されるといわれています。

男性浴場(1階):ジャグジー付き大浴場、サウナ、露天風呂
女性浴場(2階):ジャグジー付き大浴場、サウナ   (男女入替え曜日あり)
入浴料:大人840円、小学生以下630円(フェイスタオル付き)
時間:12:00〜21:00(休憩所はありません。)

中国割烹旅館「掬水亭」 6階レストラン天外天
1階大浴場(竹炭風呂) 足の指(三村耿一郎作)

 

7−10 「堤康次郎銅像」と「木村・徳田両中尉記念塔」

○ 「木村・徳田両中尉記念塔」

我が国最初の航空犠牲者となった「木村・徳田両中尉記念塔」は、一時期、西武園遊園地前にあったそうです。

大正2(1913)年3月28日、所沢飛行場を離陸した木村鈴四郎・徳田金一両中尉の搭乗する「プレリオ」機は、東京青山練兵場に着陸し、貴衆両院議員へ航空機の重要性を説く観覧・説明を行った後、午前11時36分帰航の途につきました。

ところが、所沢飛行場の北東約1500mの大字下新井字柿の木台(現在:所沢聖地霊園の駐車場の南脇)の上空にさしかかった時、突風に左の翼を破壊され、両中尉は飛行機とともに墜落して殉職し、我が国最初の航空犠牲者となりました。

当時の「やまと新聞」は義捐金を募り、大正3(1914)年3月28日、墜落地点に記念碑を建て両中尉の勇姿を銅像として残しました。

墜落地が交通不便のため訪れる人も少なかったので、当時所沢町ほか6か村の有志が発起人となり、昭和4(1929)年3月に西武線所沢駅前へ移設しました。

その後、西武園、航空自衛隊入間基地と転々と移設されましたが、関係者の協力を得て、昭和55(1980)年3月に航空発祥の地である「所沢航空記念公園」内に移設されました。

 

○ 西武の創始者「堤康次郎銅像」

昭和40(1965)年11月15日、堤義明氏は、父の偉業をたたえるため、西武園遊園地前に「堤康次郎銅像」を建立しました。おそらく「木村・徳田両中尉記念塔」が移設された跡に建てられたようです。その後この銅像は、所沢の西武本社へ移設されたらしいです。なお、所沢駅前の西武鉄道本社ビルは、昭和60(1985)年5月16日に起工し翌年8月5日に移転開業しました。(銅像は少なくとも昭和54年ごろには西武園にあったそうです。)

所沢の西武鉄道本社の中庭には、「堤康次郎銅像」が建っていましたが、平成16(2004)年に発覚した証券取引法違反事件により、同年12月に上場廃止処分となり、さらに平成18(2006)年の西武グループ再編により、同族経営は終止符を打ちました。このことから、中庭にあった「堤康次郎銅像」は、撤去されてしまったようです。詳細は非公開であるため、よくわかりません。(銅像は平成24年ごろまでには撤去されたようです。)

なお、軽井沢スケートセンターの敷地内(軽井沢千ヶ滝温泉ホテル北側の林の中)にも「堤康次郎先生之像」があります。軽井沢の千ヶ滝地区(当時は長倉村沓掛)は、堤康次郎が土地開発事業の第一歩を始めた地です。(大正7(1918)年「千ヶ滝遊園地株式会社」設立。これを清算し大正9(1920)年「箱根土地株式会社」を設立、後の「コクド」となった。)昭和46(1971)年10月、軽井沢町内外の有志による堤康次郎先生彰徳協賛会(会長:佐藤今朝市郎)が建立しました。

また、滋賀県の大津市立歴史博物館には、平成10(1998)年12月「堤康次郎先生之像」が建立されました。滋賀県秦荘町に生まれ、早稲田大学を卒業、衆議院議員に当選し衆議院議長を務める一方、一代にして西武グループを築き、大津名誉市民になりました。市制百周年にあたり、先生の功績に感謝し顕彰すべく銅像を建立したそうです。

   

木村・徳田両中尉記念塔(所沢航空記念公園内)
(以前は西武園にあった)
堤康次郎銅像(所沢市西武本社中庭内)
(現在はありません)
堤康次郎先生之像(軽井沢千ヶ滝) 西武鉄道本社中庭(銅像は撤去されている)

 

7−11 村山クレー射撃場

日本でクレー射撃が始まったのは大正11(1922)年のことで、猟友会主催でトラップ射撃の全日本クレー射撃選手権が行われたそうです。昭和39(1964)年に開催された東京オリンピックでは、埼玉県所沢射撃場(所沢市南永井)でクレー射撃競技が行われました。

日本では、かつて昭和15(1940)年に東京オリンピックが開催される予定でしたが、日中戦争の長期化により2年前の昭和13年、オリンピック開催を返上した経緯がありました。日本は、この翌年12月8日(奇しくも、聖母マリア無原罪の祝日)、真珠湾攻撃を行い、暗い時代に入っていきます。

昭和15(1940)年9月、東京府猟友会(昭和4年発足、後の東京都猟友会)は、現在の西武遊園地駅の東側の丘陵地に「村山射撃場」を設置しました。射撃場は、幻となった東京オリンピックのクレー射撃競技でも使用される予定でした。

昭和34(1959)年9月、第14回国民体育大会東京大会が開催され、クレー射撃競技が日本クレー射撃協会(昭和24年発足)により村山射撃場で行われました。

その後、村山射撃場は、昭和40(1965)年に閉場になり、住宅地に変わりました。

 

7−12 Webサイト「say-seibu.jp」

平成22(2010)年3月3日、西武鉄道株式会社は、Webサイト「say-seibu.jp(セイ・セイブ・ドット・ジェイピー)」を立ち上げました。「say-seibu.jp」は、沿線観光事業活性化の新たな試みとして誰でも意見を投稿できるWebサイトで、「西武園エリア」活性化のために立ち上げられたものです。( http://www.say-seibu.jp

西武園エリアとは、多摩湖・狭山湖に近い狭山丘陵に囲まれた、西武園ゆうえんち、中国割烹旅館掬水亭、旧ユネスコ村(現ゆり園)、西武ドーム、狭山スキー場、西武ドームテニスコート、西武園ゴルフ場、西武園競輪場を含むエリアを指します。ああSAY!こうSAY!みんなの声で「西武園エリア」を変えよう。

平成22(2010)年10月26日、西武園エリアの新しいネーミングが say-seibu.jp により決定されました。その名も『所沢西武アッハの森』です。公募した名称の中から、「所沢」「西武」「森」に加え、「スマイル」系のアッハッハを選定して決定したそうです。分かりやすく強いインパクトのあるネーミングになりました。

平成23(2011)年1月28日、「所沢西武アッハの森」のロゴが say-seibu.jp より発表されました。「所沢」と「西武」は、∞マークの中に入れて、地元と西武鉄道が一緒に新しいエリアにしていこうという意志を表し、踊っているロゴは、明るく笑って楽しそうに弾けている感じを表現しているそうです。

「アッハの森」ロゴ

 

このように「say-seibu.jp」は所期の目的を達成しましたが、新たに西武鉄道沿線レジャー施設の情報を発信するWebサイトが発足する運びとなったことから、「say-seibu.jp」は平成28(2016)年3月31日をもって終了となりました。

 

 

 

 

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