8 多摩湖の社寺

 

8−1 国宝 正福寺千体地蔵堂

金剛山正福寺は、鎌倉の建長寺末に属する臨済宗の寺院です。東京都唯一の国宝建造物「千体地蔵堂」があることで有名です。

正福寺は、弘安元(1278)年、南宋(中国)の禅僧・石渓心月(しっけいしんがつ)が開山し、鎌倉幕府執権・北条時宗により開創されたといわれています。千体地蔵堂は、室町時代の応永14(1407)年に建立されました。それ以外の建物は、寛文2(1662)年の火災等で失われたようです。

正福寺千体地蔵堂は、鎌倉の円覚寺舎利殿と並ぶ中世禅宗様建築の代表的遺構であり、昭和4年7月1日に国宝に指定されました。

禅宗様建築は、鎌倉時代に禅宗とともに中国から伝わった建築様式で、それまでの伝統様式である和様と区別され唐様と呼ばれました。唐様は、和様に比べて木工が主で、瓦や土壁も使わないモダンな技法であったことから急速に広まり、和様建築にも影響を与えました。

千体地蔵堂は、禅宗様の方三間裳階付仏殿(ほうさんげんもこしつきぶつでん)です。方三間とは正面と側面の柱と柱の間がそれぞれ三つある方形の建物のことで、その外側に裳階と呼ばれる空間が付く形式です。

千体地蔵堂の上層屋根は、入母屋造の柿葺(こけらぶき)で、下層屋根は銅板葺となっています。上層屋根の隅反りが強いのは、禅宗様建築の特色です。柿葺は、柿板(こけらいた=長さ45cm、幅12cm、厚さ4.5mmの薄い板で、材料はサワラの木)を少しずつずらしながら重ね竹釘で留めて屋根を葺くものです。平成17(2005)年には、30年に一度の柿葺の葺き替え工事が行われました。

開口部は、正面に桟唐戸(さんからど)、その両脇に花頭口(かとうぐち)、花頭窓(かとうまど)が配置され、上部の明かり取りは弓欄間(波型欄間)になっています。

正福寺千体地蔵堂(国宝) 鎌倉の円覚寺舎利殿(国宝)(絵葉書)

※ 円覚寺舎利殿の公開日=1月1日〜3日、11月の宝物風入れ時。 

 

○小地蔵尊祈願
小地蔵尊祈願は、祈願する人が小地蔵のうちの一体を借りて家に持ち帰り、願いが成就すれば別に一体を添えて謝恩奉納する、というものです。主に江戸時代(18世紀前半、享保年間)に近郊近在の人々の奉納により小地蔵尊像が少しずつ集積され、千体地蔵として成立したものと考えられています。現在、正福寺の厄除け小地蔵取扱所は御菓子司清水屋で、木彫り小地蔵が有料頒布(3000円)されています。

○地蔵まつり
毎年11月3日文化の日に正福寺の「地蔵まつり」が開催され、国宝千体地蔵堂の内部が一般公開されます。地蔵まつりは、平成20年で第9回目を迎えました。

本尊の延命地蔵菩薩と小地蔵尊 千体地蔵堂内部の天井

○雅楽・浦安の舞
「地蔵まつり」にあわせ、東村山市指定無形民俗文化財の「雅楽・浦安の舞」が、正福寺境内の八坂神社仮社の特設舞台で公開されます。

「雅楽・浦安の舞」は、東村山市栄町の八坂神社の氏子代表の野口雅楽振興会により行われます。野口雅楽部は、大正13年、八坂神社の祈年祭で野口地域の青年会が取り入れたものが始まりだそうです。雅楽器には、笙(ショウ)、竜笛(リョウテキ)、鞨鼓(カッコ)、楽太鼓(ガクダイコ)などがあります。浦安の舞は、昭和15年、昭和天皇の御製「あめつちの 神にぞ祈る朝凪ぎの 海のごとくに 波立たぬ世を」を女子の舞いとして取り入れ継承されているものだそうです。

雅楽 浦安の舞

○国宝・地蔵堂建立600周年記念特別展正福寺展
平成19(2007)年9月29日〜12月16日、国宝・地蔵堂建立600周年を記念して、東村山ふるさと歴史館で特別展正福寺展が開催されました。

○貞和の板碑(じょうわのいたび)
この板碑は、高さ285cm、幅55cmもあり、都内最大級の板碑といわれ、貞和5(1349)年のものです。碑面は、釈迦種子に月輪、蓮座で、光明真言を刻し、銘は「貞和五年己丑卯月八日、帰源逆修」とあります。この板碑はかつて、前川の橋として使われ、「経文橋」「念仏橋」と呼ばれていました。昭和2年5月、橋の改修のため板碑を撤去したところ、赤痢が発生したのでこれを板碑のたたりとし、同年8月に橋畔で法要を営み、正福寺境内に移建したとのことです。昭和38年には、板碑の保存堂を設けたそうです。(東村山市指定有形民俗文化財(昭和44年3月1日指定))

貞和の板碑
(保存堂の金網越しに撮影)

 

※正福寺:〒189-0022東村山市野口町4-6-1(電話042-391-0460)

 

 

 

8−2 山口観音(金乗院)

山口千手観音(吾庵山金乗院放光寺)は、弘法大師の開基とされ、1200年の伝統がある真言宗のお寺です。本尊の千手観音菩薩は、弘仁年間(810〜824年)、行基の作として伝えられています。

昔、弘法大師がこの地を通り、山の中から不思議な光が出ているのを見られ、小さな祠に観音様が祀られているを見つけました。当時、この地方に悪病が流行しており、弘法大師は翌日から千座の護摩を修行され、本堂右裏の池の水を閼伽水(あかみず)として使われました。後に住民がこの水を飲んだところ、病人はたちまち良くなり、再び明るい生活が戻ったということです。

山口観音(金乗院)

○本堂
現在の本堂は、宝暦年間(1751〜1764年)に再建されたものです。本尊の千手観音菩薩は33年に1度の御開帳です。左に毘沙門天、右に不動明王の脇士、更に多くの仏像と絵馬が祀られています。

プレイングベル:本堂の周囲に設置されたこの鐘は、インドネパールで作られ、梵語でお経が刻印されています。願い事を念じ鐘を廻しながら1周歩くと、お経を知らない人でもお経を読んだのと同じ功徳があるそうです。全部で108個あります。

おびんづる様:参拝する人々が、「自分の悪い所」をなでて、おびんづる様のその場所をなで一心に頼めば、必ず利益を授けてくれるそうです。

プレイングベル おびんづる様

○霊馬堂(新田義貞公霊馬)
元弘3(1333)年、新田義貞が兵を集め山口観音に戦勝祈願して、お礼として自分の馬を寄付されました。新田公にお供し鎌倉入りして忠誠を尽くした馬です。参拝する人々に勝運と商売繁盛を授けてくれるそうです。

霊馬堂

○奥の院(五重塔千体観音堂)
平成11(1999)年11月7日に落成し、千体の観音像が安置されているそうです。

仏国窟:五重塔の地下にあり、多くの観音像を見ることができます。

五重塔 仏国窟

○その他
仁王門、地蔵堂(ぽっくり地蔵)、布袋尊(武蔵野七福神)、加持水、水子供養地蔵尊など、見るべきものが多くあります。

法要殿の釈迦涅槃像
 

※ 山口観音(金乗院):〒359-1153所沢市上山口2203(電話04-2922-4258)

 

 

 

8−3 狭山不動尊

天台宗別格本山・狭山山不動寺(狭山不動尊)は、西武がユネスコ村に日本の歴史的建造物を集めていたものをまとめ、本堂を京都東本願寺から移築した七間堂として、昭和50(1975)年4月26日、開山した天台宗の新しいお寺です。また、西武がプリンスホテル建設などの目的で買収した土地に残った文化財を保存するため、狭山不動を建立したともいわれています。(ユネスコ村:昭和26(1951)年9月16日開園、平成2(1990)年11月4日閉園)

平成13(2001)年3月、移築した本堂は不審火により焼失してしまいました。そこで、平成13(2001)年12月、新たに本堂が建立されました。本尊は不動明王で、本堂再建を機縁に比叡山無動寺明王堂の秘仏である不動明王を模して勧請し、左右に矜羯羅(コンガラ)と制吁迦(セイタカ)の二童子を従えています。

狭山不動寺本堂

境内には多くの文化財が大切に保存されています。

○勅額門(ちょくがくもん)(国指定の重要文化財)
寛永9(1632)年、三代将軍徳川家光が建立したもので、芝徳川家台徳院の御廟に建てられていました。

○御成門(国指定の重要文化財)
同じく寛永9(1632)年、三代将軍徳川家光が建立したもので、芝徳川家台徳院の御廟に建てられていました。

○丁子門(ちょうじもん)(国指定の重要文化財)
寛永12(1635)年、三代将軍徳川家光が、芝徳川家崇源院霊牌所の通用門として建立したものです。

○第一多宝塔(埼玉県指定有形文化財)
慶長12(1607)年、美濃国林丹波守が建立したと伝えられ、大阪府高槻市の春日大神・畠山神社にありました。(昭和36年4月移築)

勅額門 御成門
丁子門 第一多宝塔

○第二多宝塔
室町時代中期、播磨国守護赤松満男教康が建立したものです。(昭和39年8月移築)

○大黒堂
奈良極楽寺境内に建立された、柿本人麻呂の歌塚堂です。(昭和38年5月移築)

○弁天堂
万治2(1659)年、井伊直孝の息女が父の追善菩提のために建立したもので、滋賀県彦根市の清涼寺にありました。

○羅漢堂
明治28(1895)年、井上馨の還暦を祝し、井上公の屋敷内に建立されたものです。

○その他
総門、桜井門、書院清明閣、康信寺などがあり、古都を彷彿とさせてくれます。

 

※狭山山不動寺:〒359-1153所沢市上山口2214(電話04-2928-0020)

 

 

☆ユネスコ村の「眼鏡橋模型」(重要文化財???)

狭山不動尊の境内の参道からは、旧ユネスコ村の展示物「眼鏡橋模型」が残されているのを見ることができます。

長崎県諫早市の眼鏡橋は、長崎市の眼鏡橋を参考にして、天保10(1839)年8月、第12代諫早領主茂洪により本明川に架けられた二連アーチ橋です。昭和32(1957)年に起きた諫早の大水害の時も流失しなかった堅牢な石橋で、昭和33(1958)年には国の重要文化財に指定されました。昭和35(1960)年に、保存のため諫早公園に移設工事が行われましたが、移設工法の参考にするため眼鏡橋の模型(縮尺五分の一)が作られました。この眼鏡橋模型は、芸術的にも土木工学上も価値の高いものであったため、ユネスコ村に残されることになったそうです。

眼鏡橋模型

 

 

 

8−4 徳蔵寺「板碑保存館」

福寿山徳蔵寺は、臨済宗(禅宗)大徳寺派に属し、江戸時代前期の元和年間(1615〜1623年)に璧英宗超禅師が開山したとされています。本尊は白衣観世音菩薩で、境内は板倉氏(旗本?)の屋敷跡であったといわれています。

昭和43年9月、徳蔵寺に保管されていた板碑、石器、土器等を保存するため、鉄筋校倉造り2階建ての「板碑保存館」が完成しました。

板碑保存館には、国指定の重要文化財「元弘の板碑」などが展示されています。「元弘の板碑」は、元弘3(1333)年、新田義貞が鎌倉攻めの際に討ち死にした3人の家臣の霊を供養するために作られたもので、戦史を実証している板碑として有名です。

○元弘の板碑
元弘3(1333)年5月8日、上州(群馬県)生品神社において討幕の兵を挙げた新田義貞は、鎌倉街道に沿って進み、5月11日小手指原で最初の合戦をし、12日久米川の戦、15日第一次分倍河原の合戦、16日第二次分倍河原の合戦、18日相州村岡の合戦、21日稲村ヶ崎の合戦に勝利し、5月22日遂に鎌倉の北条氏を滅亡させたとのことです。

銘文には、「光明真言 元弘三年癸酉五月十五日敬白」
「飽間斎藤盛貞、生年二十六、武州府中に於いて五月十五日討死す。同孫七家行、二十三、同じく死す。飽間孫三郎宗長、三十五、相州村岡に於いて十八日討死す。」とあります。
玖阿弥陀仏という僧が寄付を募り、遍阿弥陀仏という僧が銘文を書いています。

材質は緑泥片岩、高さ147cm、幅44cm。大正3年8月、国の重要文化財に指定されました。

徳蔵寺板碑保存館 元弘の板碑

※ 徳蔵寺板碑保存館は、写真撮影可能です。

○永春庵
元弘の板碑は当初、八国山中腹の永春庵にありましたが、庵が徳蔵寺に移された時に共に移されました。

○比翼碑
比翼碑は、双式板碑、連碑などとよばれ、対になっている板碑です。徳蔵寺にある比翼碑は、2基1組で延文4(1359)年に造られました。夫婦と思われる男女2人の逆修供養(生前にあらかじめ自分の死後のため供養しておくこと。⇔追善供養)の碑だそうです。

※徳蔵寺:〒189-0021東村山市諏訪町1-26-3(電話042-391-1603)

 

 

8−5 多摩湖の歳時記

時期 花/行事 場所
3月春分の日 多摩湖駅伝大会 多摩湖周回コース
3月下旬〜4月上旬 サクラ 多摩湖・狭山湖
3月下旬〜4月上旬 カタクリ 野山北公園
5月中旬 国際バラとガーデニングショウ 西武ドーム
6月上旬〜下旬 花菖蒲 北山公園
6月上旬〜7月上旬 ゆり ユネスコ村ゆり園

8月の土日
20時00分〜20時30分

西武園花火 西武ゆうえんち
8月最終土曜日 武蔵村山市観光納涼花火大会 野山北公園
10月下旬 村山デエダラまつり プリンスの丘公園南側
8月〜10月 多摩湖梨 各所
8月中旬〜9月下旬 狭山湖ぶどう狩り 狭山湖北側
11月上旬〜下旬 狭山みかん狩り 多摩湖(上貯水池)南側
10月中旬 軽便鉄道跡ウォーキングイベント 武蔵村山市商工会主催
11月3日 地蔵まつり 正福寺

 

 

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