写真編6:羽村堰・小作堰周辺

羽村堰・小作堰周辺のスナップ写真です。

 

【羽村堰】

羽村堰は、多摩川の水をせき止め玉川上水に取り入れるための堰です。羽村堰は、その美しさから「羽衣の堰」とも呼ばれていました。

玉川上水は承応2(1653)年、江戸の人口増加に伴う水不足解消のため、江戸幕府が松平伊豆守信綱を総奉行として造られた用水です。総延長は、羽村から新宿区の四谷大木戸まで約43kmあります。

【羽村堰】

羽村堰は、右岸側が固定堰、左岸側が投渡堰(なげわたしせき)と呼ばれる珍しい構造の堰です。投渡堰は、川に鉄の桁を渡し、これに松丸太、そだ(木の枝を束ねたもの)、砂利などを取り付けて作ります。

大水の際は、この支えを取り払って投渡木ごと多摩川に流すことで、玉川上水の水門の破壊と洪水を回避しています。

承応2(1653)年の建造以来、明治31(1898)年、大正12(1923)年と改修が重ねられました。

【羽村堰第一水門】

第一水門は、多摩川の水を玉川上水に取り入れるための水門です。大水の時などはこの第一水門を閉めて土砂などの浸水を防ぎます。

玉川上水は現在、羽村堰から小平監視所までの間約12kmが上水路として利用されています。

【羽村堰第ニ水門】

第ニ水門は、第一水門で取り入れた水を一定の水量にして玉川上水に流すための水門です。

余った水は、脇の小吐水門から多摩川に戻ります。

【羽村堰第ニ水門】

第一水門から見た第二水門です。

右側が小吐水門です。

【羽村堰第三水門】

多摩川(玉川上水)の水を村山貯水池・山口貯水池(多摩湖・狭山湖)に送水するための水門です。(正面の水門) 右の小さな水門が玉川上水の下流側です。

羽村村山線は、地下の導水路になっており、地上は神明緑道、野山北公園自転車道となっています。

【羽村堰第三水門】

第三水門の裏側です。地下の導水路の羽村村山線に水が流れて行きます。

奥多摩街道側から撮影しました。

【羽村堰の玉川上水の水門】

羽村堰第三水門の横にある玉川上水の小さな水門を下流側から撮影しました。手前が玉川上水の下流になります。

【玉川上水】

羽村橋から上流(第ニ水門側)を見た玉川上水です。

【玉川上水】

羽村橋から下流(第三水門側)を見た玉川上水です。

【玉川兄弟の銅像】

玉川庄右衛門・清右衛門兄弟は、測量技術の未発達な時代に、約43kmの水路をわずか8ヶ月余りで完成させました。その功により「玉川」の姓が許され、武士と同身分の扱いになりました。

この銅像は、二人の功績をたたえ、昭和33(1958)年に建てられたものです。

立っているのが、兄の庄右衛門です。

【玉川水神社】

玉川水神社は、承応2(1653)年、玉川上水が徳川幕府によって完成された際、水神宮として建立されたものです。以来、江戸町民や上水路沿いの住民により厚く信仰されてきたもので、東京水道の守護神です。明治26年に名を玉川水神社と改められましたが、水神社としては最も古いものの一つです。
祭神:彌都波能賣(みずはのめのかみ)、
    水分大神(みくまりのおおかみ)
例祭:毎年9月5日
管理:羽村水源愛護会

☆☆☆

【玉川上水と残堀川の交差地点】

玉川上水と残堀川の立体交差地点です。

水面は見えませんが、左から右へ南流するのが残堀川です。手前から向こうへ流れる玉川上水は、残堀川の地下をくぐって流れているそうです。かつて残堀川は「狭山池助水」として玉川上水に合流していました。しかし、明治時代になって川が汚れてきたため、上水の下を潜らせて多摩川へ放流するように改修されました。さらに、昭和38(1963)年、川の下を上水が潜るように再改修されました。(ふせこし)

【玉川上水の小平監視所】

羽村堰から取り入れられた多摩川の水は、玉川上水によりここまで流れてきます。

【玉川上水の小平監視所】

多摩川の水は、小平監視所から暗渠(砂川線)によって東村山浄水場へ送られます。

【小平監視所の清流復活放流口】

昭和40(1965)年3月、東村山浄水場が完成したため、新宿の淀橋浄水場は廃止されました。玉川上水の水は全て、小平監視所から東村山浄水場へ流れてしまうので、下流は空堀になり次第に荒れていきました。

このため地元住民の強い要望により、昭和61(1986)年8月、玉川上水に清流が復活しました。これは、昭島市の多摩川上流下水処理場の処理水が送られてくるものです。

【復活した玉川上水】

処理水が注ぎ込む上水小橋から見た玉川上水です。

関東ローム層と呼ばれる赤土むき出しの堀が観察できます。

左岸の階段脇には、清流復活を記念した石碑が建てられています。

☆☆☆

【小作堰】

多摩川の左岸から見た小作堰です。

小作堰は、多摩川の水をせき止め、山口貯水池(狭山湖)に送水するための堰です。

小作山口線は、地下の導水路になっています。

【小作堰】

多摩川の右岸から見た小作堰です。

この小作堰は、昭和55年7月26日に完成したそうです。

【小作堰の取水口】

小作堰の管理橋の上から見た取水口です。

【小作堰の流量調節ゲート】

取水口の裏側の流量調節ゲートです。

ここで取り入れられた水は、沈砂池へ送られます。

【小作堰の沈砂池】

沈砂池の奥は、山口貯水池(狭山湖)に送水するための導水路(小作山口線:口径3800mm)に通じています。

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【遠江坂跡:川崎西公園】

遠江坂(とおとうみざか)は、旧羽村と川崎村との境にありましたが、大正時代に羽村堰から村山貯水池への取水工事のためこわされてしまいました。

戦国時代、当地方を支配した豪族大石遠江守がこの坂の付近に館を構えていたところから、遠江坂と呼ばれていました。

この公園の西側下に、羽村堰の第三水門があります。

【神明緑道】

遠江坂跡から東側を見た神明緑道です。

この下を導水路の羽村村山線が通っています。

【神明緑道】

横田基地米軍ハウス付近から西側を見た神明緑道です。

この下を導水路の羽村村山線が通っています。

☆☆☆

【富士見緑道】

東京街道団地付近から南側を見た富士見緑道です。

この下を導水路の砂川線が通っています。(玉川上水の小平監視所から東村山浄水場への導水路)

背後に見えているのは、野火止用水が流れる野火止緑地です。

【富士見緑道】

新青梅街道付近から北側を見た富士見緑道です。

この下を導水路の砂川線が通っています。すぐ先が東村山浄水場です。

☆☆☆

【東村山浄水場】

新青梅街道の美住陸橋上から見た東村山浄水場です。

多摩湖・狭山湖からこの浄水場へ送水されます。

手前の川は空堀川、奥に見えるのは八国山緑地です。

 

 

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