写真編7:浄水場周辺

浄水場周辺のスナップ写真です。

 

【東村山浄水場正門】

東京都水道局東村山浄水場(東村山市美住町2-20-2361)の正門です。

【東村山浄水場】

東京市の第2次水道拡張事業の一環として計画され、昭和35(1960)年8月16日に竣工しました。原水は、多摩川の原水(村山貯水池、山口貯水池、玉川上水)を使用していますが、これらの原水は原水連絡管で朝霞浄水場へ導水することもできるそうです。

【東村山浄水場】

施設能力:日量88万m3(利根川水系)、38.5万m3(多摩川水系)

浄水方式:急速ろ過(高度浄水処理)

※高度浄水処理(従来の沈殿→ろ過→消毒に、オゾン処理・生物活性炭処理を加えた施設:平成22(2010)年4月7日、完成式挙行)

【接合井】

多摩湖から村山線で送水された原水、狭山湖から山口線で送水された原水、玉川上水の小平監視所から砂川線で送水された原水が、ここで一緒になり、東村山浄水場へ入ります。

【着水井】

利根川から利根大堰、武蔵水路、秋ケ瀬取水堰を通って、朝霞浄水場で加圧され、原水連絡管により送水された原水が、着水井に到着します。

 

【混和池】

水中の浮遊物質を沈みやすくするため、凝集剤(ポリ塩化アルミニウム)を原水と急速に混合します。

【フロック形成池】

羽根車をゆっくり回して凝集剤の働きによりできたフロック(浮遊物質の集合体)を大きく成長させます。

【薬品沈殿池】

水をゆるやかに流して、フロックを沈めます。

【オゾン接触池】高度浄水施設

オゾンの強い酸化力で、かび臭やトリハロメタンのもととなる物質を分解します。

【生物活性炭吸着池】高度浄水施設

活性炭の吸着作用により、かび臭などを取り除きます。また、活性炭の表面に住む微生物によりアンモニアなどを分解します。

【急速ろ過池】

水を砂でろ過し、フロックをきれいに取り除きます。

この後、塩素混和池で次亜塩素酸ナトリウムを入れて消毒をし、村山浄水場の東側(正門)の芝生の下にある配水池に蓄えられます。

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【第1号急下】

急下は、導水路の村山境線(第1村山線)の途中にあり、導水路の圧力を抜くために設けられたものだそうです。東村山浄水場の脇の位置にあり、すぐ上流側に「接合井」が設置されました。

平成17(2005)年9月、第1村山線圧力化の改修によりバイパスの管路を通したため、現在は使用されていません。

【小平ふるさと村】

多摩湖自転車道(導水路の村山境線)の途中にあります。

【多摩湖自転車道の馬の背】

地下に村山境線の導水管が通っています。またここで、石神井川が交差しています。

【馬の背の下を流れる石神井川】

石神井川は、眼鏡橋状のトンネルになっています。上の土手は馬の背です。

【多摩湖自転車道のスタート地点】

ここから多摩湖自転車道がスタートします。地下に村山境線の導水管が通っています。

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【境浄水場正門】

東京都水道局境浄水場(武蔵野市関前1-8-37)の正門です。

【境浄水場】

近代水道としての淀橋浄水場が明治31(1898)年に通水しましたが、東京市の発展は目覚しく、明治末期には早くも水道施設の拡張が必要になったため、大正元年、村山貯水池・境浄水場・和田堀浄水池の第1次水道拡張事業が認可され、境浄水場は大正13(1924)年に通水しました。

【境浄水場】

境浄水場は、村山貯水池から原水を自然流下で引き入れ、浄水を自然流下で和田堀給水所へ送っています。浄水場は玉川上水の際にありますが、玉川上水とは直接関係ありません。

【境浄水場】

施設能力:日量31.5万m3

浄水方式:緩速ろ過(現在の日本では珍しい)

緩速ろ過は、ろ過砂の表面や内部に繁殖した微生物(藻類、細菌)により水中の濁りや不純物を取り除いて水をきれいにする方法です。急速ろ過と違い、薬品(凝集剤)を使用しないので、おいしい水ができます。

【減勢施設】

減勢施設は、貯水池から原水を導水する際に、水の圧力(高低差約53m)を減らして流量を調節します。

【大開きょ】

減勢施設から出た原水は、大開きょから、甲・乙各10池の緩速ろ過池に引き入れられます。

【緩速ろ過池】

緩速ろ過池は、ろ過砂が約80cm敷き詰められ、水はその砂層の表面に微生物の働きでできたろ過膜を通り、砂層とその下の砂利層、さらに下の玉石層を経て、きれいな水が造られます。ろ過速度は、1日3〜4mです。(急速ろ過:1日180m)

ろ過した水は、塩素(次亜塩素酸ナトリウム)で消毒し、浄水とします。

境浄水場には配水池がないので、送水管で和田堀給水所の配水池に蓄えられます。

【緩速ろ過池の断面モデル】

【緩速ろ過池の削取作業】

緩速ろ過池は、ろ過を続けていると砂の表面に目詰まりが生じるので、これを機械で削り取ります。

【洗砂機】

削り取った砂は、洗砂機に入れて回転させ大量の水で汚れを洗い落とします。洗った砂は、再利用します。(補砂作業)

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【国木田独歩文学碑】

武蔵境通りが玉川上水をまたぐ桜橋のたもと(左岸上流側)にあります。ちょうど境浄水場の正門の斜向かいの位置です。(昭和32年10月27日除幕)

碑文「今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出でゝ三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四、五丁ゆくと桜橋といふ小さな橋がある。」

(「武蔵野」第六章冒頭の一節)

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【太宰治の碑(ポケットスペース)】

「斜陽」「人間失格」などを書いた太宰治(1909-1948)は、1948年6月13日、愛人の山崎富栄ともに玉川上水に入水自殺を図りました。39歳の若さでした。遺体の発見された6月19日(誕生日でもある)は、桜桃忌と名づけられ、毎年多くのファンが東京都三鷹市の禅林寺の墓を訪れます。

ポケットスペースは、JR三鷹駅から玉川上水の右岸「風の散歩道」を200mくらい下流に歩くとあります。また、ここから50mほど先に「玉鹿石」があります。

【玉鹿石(ぎょっかせき)】

玉鹿石は「青森県北津軽郡金木町産 1996年(平成8年)6月」と書かれた無銘碑です。金木町(現・五所川原市)は、太宰治の出身地であり、玉鹿石が特産品です。入水地点がこの石の近くだったそうで、遺族への配慮のためか詳しい説明はありません。

むらさき橋の手前になります。

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【淀橋浄水場趾】

淀橋浄水場趾の碑は、新宿エルタワー西側にあります。(昭和45(1970)年3月建立)

ここに淀橋浄水場の正門があったそうです。

淀橋浄水場は、明治31(1898)年12月1日に竣工し、原水は玉川上水から引き入れました。昭和40(1965)年にその機能を東村山浄水場に移し閉鎖されましたが、67年間首都の給水施設の中心でした。跡地は新宿副都心となり、京王プラザホテルを皮切りに、次々と超高層ビルが建築されました。

【東京水道発祥の地:淀橋浄水場の蝶型弁】

東京水道発祥の地の碑は、新宿住友ビル西側にあります。(昭和49(1974)年4月建立)

淀橋浄水場の完成により、東京の近代水道が完成しました。

碑文の横には、淀橋浄水場で使われた内径1000mmの蝶型弁が展示されています。

【新宿中央公園の富士見台と六角堂】

富士見台は、淀橋浄水場の沈殿池を掘った際の残土で造られた小高い丘だそうです。(標高45m)

頂上にある六角堂は、淀橋浄水場時代のものを補修してそのまま残したとのことです。

【淀橋給水所】

新宿中央公園の一角にあります。

「淀橋」の名前が唯一残る水道施設です。

【淀橋浄水場のイメージ画像】

東京都水道歴史館に行くと、淀橋浄水場の今と昔のイメージ画像が展示されています。

下が淀橋浄水場、上が跡地にできた新宿副都心の超高層ビル群です。(奥が北)

(東京都水道歴史館)
住所:東京都文京区本郷2-7-1
電話:03-5802-9040

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【水道碑記(すいどうのいしぶみのき)】

水道碑記(玉川上水記念碑)は、四谷区民センター・東京都水道局新宿営業所の前(新宿通り)にあります。(明治18年建立、明治28年完成)
玉川上水開削の由来を記した記念碑で、高さ460p、幅230pの大きなものです。玉川上水は、多摩川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠で、四谷大木戸から江戸市中へは石樋・木樋といった水道管を地下に埋設して通水しました。四谷大木戸にあった水番所には、水番人1名が置かれ、水門を調節し水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持しました。

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